平成21年11月29日(日)  目次へ  前回に戻る

次の文章中「わし」とは誰でしょう。ちなみに、時代は唐の時代です。

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わしはひいひい言いながら山道を登ってきた。

太っている上、まだ昨日の宴会の酒が抜けぬ。わしは今朝、金陵の町を発った。今日中に長江に面した船着場に向かい、長江上流へと旅立つのである。

それにしても昨日はひどい目に会いました。わしはかなり酔っ払って、

海水昔飛動、三龍紛戦争。  海水昔飛動し、三龍紛として戦争す。

鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。  鐘山波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。

黄旗一掃蕩、割尽開呉京。  黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 

むかしむかしのことである。この金陵のあたりまで

海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。三匹の龍が激しく争いあったのだ。

金陵山は波に呑みこまれそうになり、

傾き崩れはじめてさしも自在な鯨さえ驚いた。

そのとき黄色い旗を建てて帝王が現われ、

混乱を収拾し、傾いた部分を打ち壊して、東南の都=金陵を開いたのだ。

と、三国の呉の国のことを詩的なメタモルフォーゼをしまして歌いまくったのだった。

その後、六朝の国々が交代し、隋・唐よりは帝都では無くなったが、今も秦淮河のほとりの遊蕩街(うかれまち)では、女性の優しい接待と音楽の快楽は天下に優れている。

時は春の終わり、清風が山川を洗う時節。そのときにわしは金陵の地を去って、これから西に行くのだ。

「何で西に行くんじゃ?」

と友が言うので、わしは答えて、

欲尋盧峰頂、先繞漢水行。  盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。

香炉紫煙滅、瀑布落太清。  香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。

 江西の盧山に登ろうと思う、まずは麓をぐるりとめぐる漢水をさかのぼれば、

 (盧山中の)香炉峰の紫の霞も消え、名高い滝の落下がとてもはっきりと見えることだろう。

さらに盛り上がりまして、

若攀星辰去、揮手緬含情。  もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。

 そこまで行けば手を延ばすだけで星々に届くだろうから、手を延ばそうと思うけど、

今ここで君の手を握るわしの手は、離れ難い思いを拭い去れはしない。

「どはははは」

と大笑いして、さらにこの歌を歌姫に繰り返し歌わしめたが、何しろかなり「頭の変なひと」みたいなメタファーを多く使った歌になったので、気ぐらいの高い歌姫はたいへんいやがったのだ。

「なんだと、わしの歌が歌えへんのか」

とからみまくって歌わせたのであった。

思い出すと恥ずかしい。

「うう、酔ってたときのこと思い出すと恥ずかしいなあ」

と鬱々しながら峠で一休みしておりますと、

「うわ」

と唸ってしまった。

昨日怒らせてしまった歌姫が、後ろの方から峠を上がってきたのである。

「あら、昨日のお客さんじゃないの?」

と歌姫さまがご機嫌そうにおっしゃるのですが、昼間の光の下では気弱なわしじゃ、

「これはこれは歌姫さま、ご機嫌そうに何よりにございます」

とぺこぺこしました。

「歌姫さまはどちらへ?」

「あたいは金陵の街ももう飽きたから、これから長江を遡って襄陽あたりまで行こうと思うんだよ」

「そ、そうでございますか。わしも盧山からもしかしたら襄陽の方に流れるかも・・・仕官先を探しに・・・」

とぶつぶつ言いますと、歌姫さまはにやにやしておられます。やはり昨日のことを含んでおられるのだろうか。

「あんた」

と歌姫さまはおっしゃられる。

「は、はい」

「昨日の歌、よかったよ」

「へ?」

「昨日、あんたが最後に歌った歌さ」

「は?」

最後の方はもう酔っ払って、歌はさらに歌ったが、もう何を歌ったか覚えておらぬ。

「ど、どのようなものでしたかな」

「酔っ払って覚えてないのかね。あんた、この先ぜったいお酒で失敗するよ」

「はい」

「じゃあ、あんたが作った歌を歌ってあげよう。その代わり、あたいはこれから襄陽でこの歌を歌わせてもらうからね」

歌姫は背負った琵琶を取り出すと、弾きながら歌った。

風吹柳花満店香、  風は柳花を吹き満店香ばし、

呉姫圧酒喚客嘗。  呉姫、酒を圧して客を喚びて嘗めしむ。

金陵子弟来相送、  金陵の子弟来たって相送れば、

欲行不行各尽觴。  行かんと欲せども行けず、おのおの觴を尽くす。

請君試問東流水、  請う、君、試みに東流の水に問え、

別意与之誰短長。  別意とこれと誰(いず)れか短長なる、と。

 風は柳の花を吹きはらい、店いっぱいに花の香りが満ち満ちた。

 呉のくにの娘たち(金陵の女たち)は、酒を絞り、客を呼んで飲ませてくれる。

 金陵の若者たちが次々に集ってわしを送ってくれるので、

 わしは旅立とうとするが旅立てぬ、この一杯を尽くすまで。

 きみよ、試しに、東の海に向かう長江の水に問うてごらんよ、

 別れの悲しみとこの水の流れと、どちらが長く続くか、と。

ああ、そうでした、そういう詩も作ったなあ。

歌姫はやがて立ち上がり峠から西の方に降りて行った。

わしは遅れて立ち上がり、北の方を目指した。

歌姫とは、そのうちまためぐり合うかも知れぬ。互いに旅の身の上であるゆえに。

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「わし」は李太白ですね。@の五言詩は「留別金陵諸公」(金陵のみなさんが送別してくれるのに答える)で、Aの七言は「金陵酒肆留別」(金陵の酒場で送別会してくれたのに答える)である。特にAの方が有名で、

呉姫、酒を圧して客を喚びて嘗めしむ。

の一句は古来

見新酒初熟、江南風物之美、工在圧字。

新酒の初めて熟し、江南風物の美なるを見る、工は「圧」字にあり。

新しい酒が醸しだされる季節の、江南の風物の美しさをみごとに歌いこんでいる。その巧みさは「圧する」という(むすめたちの肉体の重厚を暗示し、酒の香りともあいまった、においたつような官能美を映し出した)一字にあるといえよう。

と評される名句(「漁隠叢話」)である。

 

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