唐伯虎のこと、続きを書かねばならぬ。と思ったのですが、今日は会社にメモを置いてきてしまった。ので今日は続きは書けません。
代わりに、漫塘先生のことを話しましょう。
漫塘先生とは何者か。宋・紹煕年間(1190〜95)の進士・劉宰は字を平国といい、隠居して漫塘と号し詩文を作るを業となした。宋史巻401に伝がある。
この漫塘先生が、冬の一日、親しいひとと歓談していた。
このひと、会話しながら時折窓の外をいぶかしそうに見ていたが、やがて
「どうにも不思議じゃ。ごらんなされ」
と言いながら、
指窗外桜桃惟一実、共以為笑。
窗外に桜桃一実のみあるを指す。
窗の外の桜桃の樹に実が一つだけ成っているのを指差した。
「桜桃」は和名ユスラウメ、冬の終わりに白い花を咲かせ、春の初めには「百果に先んじて」紅の小さな実をいくつもつける。いかに春の初めに実る樹とはいえ、まだ冬の間に実をつけるのも不思議であり、一個だけ実がついているのも何だかおかしい。
二人は首をひねっていた。
と、そこへお客がお見えになった、と家人が取り次ぎに来た。
「はて? どのような方か」
入ってきたのは、年のころ三十前後か、若々しく張りのある顔をした道士姿の男である。男は漫塘先生に深々と一礼をすると、
「まことにぶしつけながら、先生の家に探し物がございます。どうか探させてはいただけませぬか」
と言うのであった。
漫塘先生、はたと手を打ち、道士に向かって、
「貴殿の探し物とはあれではござらぬか」
と、ユスラウメの実を指差せば、道士、にっこりと笑い、
「ああ、それでございます」
と答え、詩を吟じはじめた。
焼丹道士薬炉空、 焼丹の道士 薬炉空なり、
枉費先生九転功。 枉費す先生九転の功。
一粒丹砂尋不見、 一粒の丹砂尋ぬれども見えず、
暁来枝上弄春風。 暁に枝上に来たりて春風を弄ぶ。
不思議な効き目の丸薬を錬成していた道士がおりました。
「そろそろできあがったころじゃろう」
と炉の蓋を開いてみたら、空っぽになっていた。
道士の先生、九回も炉を替えて薬を焼きつめてきた、これまでの時間と費用はすべてパアじゃー!
と騒いでいた。
どこへ行ったか一粒の丸薬、あちらこちらを尋ねてみたが見当たらず、
なんとこの朝方、あなたの庭の木の枝に、ひょこりと乗って春の風と戯れておったとは。
「ほうほう、あかつきに枝上に来たりて春風をもてあそぶ・・・」
と漫塘先生と友人が末句を繰り返して入るうちに、ふと気づくと、すでにその道士の姿は見えず、窓の外を振り向くと、すでに枝にあったただ一つの実も消えてしまっていた。
一月ほどすると、そのユスラウメは例年の幾倍もの実をつけたそうである。
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元・蒋正子「山房随筆」より。変な話ですね。異星人の方だと考えればすべてのつじつまはあうが・・・。