令和2年10月10日(土)  目次へ  前回に戻る

セミは意外と美味いらしいです。いや、確かに見ているだけで美味そうなので「意外」ではないのかも知れません。

むかしは10月10日は晴れの特異日といわれたそうなんですが、近年はそうでもないそうで、今日は雨。わたしは雨の中、かつて繁栄を誇った肝冷斎の跡地にやってきた。

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ここは破れた扉、割れた窓ガラスから風と雨が吹き込む廃墟だ。聞いてはいたが、これほどの荒れようとは・・・。

べん。

べん。

べん。

遠くから、侘しげな琵琶の音が聞こえた。

そして地の下に呻くような、細い歌声が耳に入ってきた。

秋山不可尽、 秋山は尽くすべからず、

秋思亦無垠。 秋思もまた、垠(かぎ)りなし。

「垠」(ごん)は、「境界、川岸」。

 秋の山は(下草がないので)どこまで行っても行き尽くせない。

 秋の思いもまた、どれほど愁うても、愁い尽せぬ。

碧澗流紅葉、 碧澗に紅葉を流し、

青林点白雲。 青林に白雲を点ず。

 あおみどりの谷川を、紅葉が流れて行き、

深い群青の森の上に、白い雲がとどまっている。

涼蔭一鳥下、 涼蔭に一鳥下れば、

落日乱蝉分。 落日に乱蝉分かる。

 寒々とした木陰に鳥が降りてくると、

 日も暮れかけて、鳴き騒いでいたセミどもが両方向に逃げ―――また鳴きはじめた

やがて夕暮れも過ぎていき、夜闇といっしょに雨が降ってきたわい。

此夜芭蕉雨、 この夜、芭蕉の雨、

何人枕上聞。 何ぴとぞ、枕上に聞く。

 この夜更け、芭蕉の葉に落ちる雨音を、

 枕の上で聴いて、寝られないでいるのは誰だね?

それは深い憂いに沈むおまえか。悲しみに泣くわたしか。それともいまはもう現世にない、肝冷斎のたましいであろうか。

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宋・林逋「宿洞霄宮」(洞霄宮のあとに泊まる)。五代・南唐帝国の荒れ果てた宮殿跡の一部が宿泊施設になってたんで、そこに泊まったときの詩のようです。鳥が降りてきてセミが分かれていく、というのはウマいね。(「美味い」ではありません。)

林逋、字・君復は杭州西湖の山中に棲み、皇帝の召しにも応じず、「梅妻鶴子」(梅を女房、鶴を子どもとして孤独に暮らす)のエピソードで有名な隠者であった。死後「和靖」の号を諡らる。しかしどうやったか知らんが子孫がいて、元のころ日本に亡命して「まんぢゅう」を伝えたと言われます。我が国まんぢゅう文明の大恩人なのである。

 

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