土曜日は心穏やかなのでこんな絵を描いてみたが、いまごろ奄美や大東ではこんなキノコどころか家が・・・。
今週は調査日程が入っておらんので、土曜日も更新しますぞ。
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最近ちら読みしてて、「あ、これいいぞ」と気に入ったのをご紹介します。
爺繙欧蘭書、 爺(や)は繙(ひもと)く、欧蘭の書、
児読唐宋句。 児(じ)は読む、唐宋の句。
おじいはエフラッパだかオランダだかの本を開いている。
あたいは唐や宋の漢詩のお勉強。
分此一灯光、 この一灯の光を分かちて、
源流各自泝。 源流おのおの自ら泝(さかのぼ)る。
同じ一つのこの行燈の灯りを分け合って、
それぞれ遠い国の文化の流れをさかのぼっているんだね。
だいぶん夜も更けてきました。なのに、
爺読不知休、 爺は読みて休むを知らず、
児倦思栗芋。 児は倦みて栗芋を思う。
おじいは本を読んで、休もうともしやがらない、
あたいは退屈してきて、さっきから甘いクリとかイモのことばかり考えている。
ごめんなさい、
堪愧精神不及爺、愧ずるに堪えたり、精神の爺に及ばざること、
爺年八十眼無霧。爺、年八十にして眼に霧無しという。
申し訳ないんだわあ、おじいみたいに精神力が無いんで。
おじいはもう八十歳なのに、まだ目がかすんだりしないんだって。
けしからんじじいである。
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湘夢女史・江馬細香「冬夜」。「湘夢遺稿」に出るのだと思いますが、わたしの引用は清・兪樾「東瀛詩選」巻四十より。細香女史は化政の三女流の一、山陽外史・頼襄の愛人としてつとに有名ですが(肖像を見る限り、おいらのような弱い者的にはパス)、おやじの江馬蘭斎は大垣藩医、蘭学者として著名であった。「爺」は「おじい」と訳してみましたが、ほんとはこの親父のことなんで、細香女史は蘭斎先生の四十歳のときの子ですから、「児」を「あたい」と訳してみましたが、女史ももう四十歳ぐらいです。
この一灯の光を分かちて、源流おのおの自ら泝(さかのぼ)る。
がいい句だなあ、と思ったんですが、よく読んでみると、
児は倦みて栗芋を思う。
も如何にも日本漢詩らしい臭いがして、ほくほくと暖かい、いいコトバではありませんか。