令和2年9月5日(土)  目次へ  前回に戻る

土曜日は心穏やかなのでこんな絵を描いてみたが、いまごろ奄美や大東ではこんなキノコどころか家が・・・。

今週は調査日程が入っておらんので、土曜日も更新しますぞ。

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最近ちら読みしてて、「あ、これいいぞ」と気に入ったのをご紹介します。

爺繙欧蘭書、  爺(や)は繙(ひもと)く、欧蘭の書、

児読唐宋句。  児(じ)は読む、唐宋の句。

 おじいはエフラッパだかオランダだかの本を開いている。

 あたいは唐や宋の漢詩のお勉強。

分此一灯光、  この一灯の光を分かちて、

源流各自泝。  源流おのおの自ら泝(さかのぼ)る。

 同じ一つのこの行燈の灯りを分け合って、

 それぞれ遠い国の文化の流れをさかのぼっているんだね。

だいぶん夜も更けてきました。なのに、

爺読不知休、  爺は読みて休むを知らず、

児倦思栗芋。  児は倦みて栗芋を思う。

 おじいは本を読んで、休もうともしやがらない、

 あたいは退屈してきて、さっきから甘いクリとかイモのことばかり考えている。

ごめんなさい、

堪愧精神不及爺、愧ずるに堪えたり、精神の爺に及ばざること、 

爺年八十眼無霧。爺、年八十にして眼に霧無しという。

 申し訳ないんだわあ、おじいみたいに精神力が無いんで。

おじいはもう八十歳なのに、まだ目がかすんだりしないんだって。

けしからんじじいである。

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湘夢女史・江馬細香「冬夜」「湘夢遺稿」に出るのだと思いますが、わたしの引用は清・兪樾「東瀛詩選」巻四十より。細香女史は化政の三女流の一、山陽外史・頼襄の愛人としてつとに有名ですが(肖像を見る限り、おいらのような弱い者的にはパス)、おやじの江馬蘭斎は大垣藩医、蘭学者として著名であった。「爺」は「おじい」と訳してみましたが、ほんとはこの親父のことなんで、細香女史は蘭斎先生の四十歳のときの子ですから、「児」を「あたい」と訳してみましたが、女史ももう四十歳ぐらいです。

この一灯の光を分かちて、源流おのおの自ら泝(さかのぼ)る。

がいい句だなあ、と思ったんですが、よく読んでみると、

児は倦みて栗芋を思う。

も如何にも日本漢詩らしい臭いがして、ほくほくと暖かい、いいコトバではありませんか。

 

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