令和2年7月30日(木)  目次へ  前回に戻る

どんどん太る。

コロナの陽性確認者数が増えてきました。毎日10万人に一人ぐらい確認されている状態です。若いひとは重症化しない、というが、お年寄りはまずいはずなんで、そこを安心させてほしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・

唐の永淳元年(682)のことですが、突厥が大挙してチャイナ東北部に至り、中でも豪勇を以て鳴る阿史那兀珍の一隊が雲州に攻めてきた。

唐の部隊が迎撃のために出現したが、数は少ないが実によく統制が取れている。

「なかなか手ごわいな」

兀珍は大声の兵士に、

唐将為誰。

唐将誰と為す。

「唐軍の指揮官はいったいどなたじゃな?」

と呼ばわせてみた。すると、唐軍の中から

薛仁貴。

薛仁貴なり。

「わしじゃ、薛仁貴じゃ」

と答える声が聞こえた。

太宗・李世民の旗下にあって以来、つねに唐軍の先鋒にあって戦ってきた百戦錬磨の名将、一本の矢で五つの鎧を貫いたという強弓の使い手である。

「ば、ばかな!

吾聞薛将軍流象州死矣。安得復生。

吾聞く、薛将軍は象州に流されて死せり、と。いずくんぞ得てまた生ぜん。

「わしは、薛将軍は宦官に陥れられて象州に流罪にされ、そこで亡くなられた、と聞いたぞ。どうしてまた生き返ったんじゃ!?」

「簡単にニセ情報を信用するやつじゃな。しばらく象州でお休みをいただいていたが、このたびお前らがあんまりうるさいので呼び戻されてきたのじゃ」

薛仁貴と名乗る将が、

脱兜鍪見之。

兜鍪(とぼう)を脱ぎてこれを見(あら)わす。

「兜」も「鍪」も「かぶと」。

かぶとを脱いで、顔を見せた。

「あわわわわ」

突厥失色、下馬羅拝遁去。

突厥色を失い、下馬し羅拝して遁去せり。

突厥の将兵らは真っ青になって、ウマから飛び降りると、ずらりと並んで拝礼し、そして逃げ去って行った。

薛仁貴は翌年亡くなります。

・・・・・・・・・・・・・・

永泰二年(762)のこと、宦官に陥れられてついにウイグルに亡命した名将・僕固懐恩が、復讐のためウイグル兵らを率いて唐に攻め込んできた。

唐軍はもちろん僕固懐恩の知略と武勇を知っているので、その姿を見ると逃げまどい、ウイグル軍は破竹の勢いで長安に迫った。

ところが、あるときから突然、唐軍の雰囲気が変わった。それまでばらばらだった各部隊が連携しはじめ、粘り強く抵抗するようになった。そして、対峙している部隊が、妙に明るいのである。

斥候を出して観察させると、少数の供回りを連れただけの老武将が各陣を回って鼓舞しているようだというのである。

僕固懐恩は言った。

「だれじゃ? わしはそんな力を持ったひとは一人しか知らんが、その方はもう・・・」

斥候兵は言った。

「あの、その、唐軍の会話を聞いていますと、その武将の名は・・・」

ぶるぶると震えながら、ようやく言った。

郭子儀。

郭子儀なり。

「か、郭子儀さまだと・・・」

「なんだと!

郭令公即世。故吾従以来。

郭令公、世を即(おわ)れり。故に吾従いて以て来たる。

郭大将軍は、もうお亡くなりになったのだぞ! だからわしは亡命したのだ・・・」

僕固懐恩は安禄山の乱の鎮圧以来、ずっと郭子儀の片腕として働いてきた。その武略にも人柄にもほれ込んで、肝胆相照らしながら闘ってきた相手であたのだが、内乱を平定したあと、宦官と結んだ文官勢力によって郭子儀は兵権を奪われて行方不明になってしまい、僕固懐恩も庶人に落とされ、生命の危険を感じて亡命の挙に出たのだ。

今誠存、我得見乎。

今まことに存するなれば、我見るを得んか。

「ほんとうに生きておられるなら、お会いすることができるであろうか・・・」

前線まで行って唐軍に名乗りを上げると、やがて老武将がやってきた。

「懐恩、久しいのう」

と言いながら、

免冑見。

冑を免じて見(あら)わる。

かぶとを脱いで顔を見せた。

確かに郭子儀であった。

その途端、僕固懐恩はウマから飛び降りて礼拝した。

「お、お久しうございます」

ウイグル軍も、安禄山鎮圧戦では郭子儀の配下として戦ったことがある。

其大酋皆下馬拝。

その大酋みな下馬して拝す。

部隊の指揮官たちはみな郭子儀の指揮を受けた者たちであったから、ウマを下りて礼拝した。

そして、粛粛と兵を引いて行ったのである。

僕固懐恩は間もなく病いを以て卒したという。(郭子儀はあと十年ぐらい生きて、大往生します。)

以是知威望宿将、国之長城。

これを以て知る、威望の宿将は、国の長城なり。

この二例を見れば、権威をもって望み見られる老将軍は、国家にとって万里の長城のような守護であることがわかるであろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宋・朱翌「猗覚寮雑記」より。もとは「唐書」か「資治通鑑」に書いてあるのだと思います。はじめ肝冷斎のような年寄りも大事にせいよ、という解説をつけようと思って書き出したのですが、途中で台湾の李登輝元総統が亡くなった、というニュースを聞いたので、今日の記事は李登さんに捧げることといたします。小さな島国とはいえ、ゴルバチョフと周恩来と池田勇人を一人でやったような人、ではないかと思います。そういえばこちらは本当の名将であった韓国の白善元帥も亡くなってたんですよね。

今日のところは肝冷斎なんか大事にしなくていいですよ。

 

次へ