隠者なんてドウブツレベルに扱っておけ、と思ってはいけません。
今日も涼しく、なかなか夏らしい天候になりません。肝冷斎はホントは隠者なので職場に所属する義務もありませんから、あまり暑くなったら山中に入って洞穴の中で寝ていようと思っているのですが、今年はその必要がないぐらい冷夏なのかも。
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文正公・范仲淹といえば北宋の名臣、出入将相の材、といっても「はあ?そうですか」というひとでも、
「先憂後楽のひとですよ」
というと
「ああ、彼ね。よく知っておるよ」
と言い出すから不思議ですが、その范仲淹が
嘗於江山見一漁父。
嘗て、江山において一漁父を見る。
いつか、溪流のほとりで一人の漁師と出会ったことがあった。
范仲淹はお伴を連れて岸辺にいます。
釣り竿を片付けて引き上げようとしていた小舟の漁師と目があうと、范仲淹は
「むむむ・・・」
とうなって、
「わしは范仲淹、字は希文ともうす。貴殿のお名前をうかがいたい」
と、
問姓名、不対。
姓名を問うも、対(こた)えず。
姓名を問うたが、漁師は答えてくれなかった。
代わりに、
「おまえさんが名高い范希文か。いいシゴトをしているそうじゃな」
というと(字で呼んだ、ということは、対等のニンゲンである、と認識した、ということです。)、にやりと笑って、
留詩一絶而去。
詩一絶を留めて去りぬ。
絶句の詩を一首、読み上げておいて、去って行ってしまった。
その詩については、絶句四行のうち、
独記其両句。
独りその両句を記す。
ただ二句だけが伝わっております。
すなわち、
十年江上無人間、 十年江上、人間(じんかん)に無きも、
両手今朝一度叉。 両手今朝、一たび叉(さ)したり。
この十年間、川のほとりに暮らしていて、人間世界とは縁を切ったつもりでいたが、
今朝は久しぶりに、両手を交差させて、あいさつしてしまった。
手を交差させるという「あいさつ」(叉手礼)は対等の人間の間で行われるものなので、ここでも漁師は范仲淹を対等とみなしてくれたわけです。
お供の者が言いました。
「失礼な漁師ですな。太守さまに対して対等礼を取るとは。追いかけて罰しましょうか」
范仲淹は振り向くと、いかにもうんざりしたように言った。
「かれらに叉手礼をとってもらったのだぞ。皇帝陛下からおほめをいただくのに匹敵するわい」
「は、はあ。あの方はそんなお偉い方なのですか」
「見ればわかるではないか。
意其隠者也。
意うに、それ隠者ならん。
あれは、「隠者」だよ」
「ええー! 隠者さまだったのですか!」
おしまい。
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宋・何子遠「春渚紀聞」巻七より。むかしは隠者は尊敬されていたんです。みなさんもわたしどもを見たら、(怒鳴り散らしたり失笑したりせずに、)「もしかしたら隠者かも」と対等礼を取ってみるといいと思いますよ。