令和2年7月6日(月)  目次へ  前回に戻る

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自動的に生成された説明カニのやつにも何か狙いがあるのであろうが、今のところバナナが足りているのでカキもおにぎりも要らないのでモンキ。

バナナ食いたいですね。

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「草帝」(草の皇帝)といえば「芭蕉」のことなんだそうです。確かにでかいですからね。

五代・南漢の趙純節というひとは、

性惟喜芭蕉、几軒窗館宇咸種之。

性これ芭蕉を喜び、几・軒・窗・館宇みなこれを種(う)う。

生まれつき芭蕉がことのほか大好きで、机の前、軒先、窓辺、屋敷のあちこち、どこにもかしこにも芭蕉を植えていた。

それで、

時称為蕉迷。

時に称して「蕉迷」と為せり。

同時代のひとたちは、彼のことを「芭蕉の迷い人」と呼んでいたそうである。

彼の話では、南漢国のあった広州のさらに南の海の中の島に、お城があったそうで、城中には南国産の植物を集めた蘇氏の庭園というものがあった。

幽勝第一。

幽勝第一なり。

静かで、景勝はほかに並ぶものがないような場所であった。

この島には王さまがいて、

王嘗与幸姫李蟾妃微至此憩。

王つねに幸姫・李蟾妃と此に微至して憩う。

王さまはいつも愛人の李蟾妃(りせんき)とこの庭園にお忍びでやってきて、憩われた。

お妃さまが「蟾妃」とおっしゃるのは、ヒキガエルの精なのかも知れません。

興が乗られると、

王命筆大書蕉葉、曰扇子仙。

王、筆を命じて蕉葉に大書して、「扇子仙」と曰えり。

王さまは、筆を持ってくるように命じられ、そこに生えている芭蕉の葉に、大きく「せんす仙人どの」と書きつけた。

芭蕉のことをそう呼んだのだ。庭園の主であった蘇氏は感激して、そこに「扇子亭」というあずまやを設けて、王の臨御の記念としたそうである。

あるいは八世紀の唐僧・懐素上人は、湖南の辺境、零陵のひとであるが、はじめ零陵の町の郊外に庵を結び、

治芭蕉亘帯幾数万、取葉代紙而書。

芭蕉を治めて幾数万に亘帯し、葉を取りて紙に代えて書せり。

芭蕉を何万株となく並べて栽培し、その葉を取って、紙にかえて文字を書いていた。

土地が辺境で、また貧しく、紙が手に入らなかったからであるという。

号其所曰緑天庵。

その所を号して、「緑天庵」と曰えり。

その庵のことを、彼は「緑天の庵」と称していた。

芭蕉の葉が、天井のように青々と広がっていたからであるという。

その後、長安に出て、張旭や顔真卿から書を学び、開元年間に並ぶ者のない名声を得たが、その書には必ず「緑天」の号を付していたという。

芭蕉のことを「緑天草」ともいうのだそうです。

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宋・陶轂「清異録」巻一より。バナナ美味い。お通じもよくなるよ。

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自動的に生成された説明「三才図会」より「芭蕉」。

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