令和2年6月28日(日)  目次へ  前回に戻る

ミイラくんだ。大事にしないと壊れるぞ。

ミイラは大事にしよう。

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北宋の時代、長安南方の華岳に張超谷という溪谷があって、

岩石下有僵屍、歯髪皆完。

岩石の下に僵屍有りて、歯髪みな完なり。

巨大な巌石の下の隙間にミイラがあり、歯も髪の毛も遺っているのであった。

「僵屍」(きょうし)はそのまま「キョンシー」で、硬直した死体をいうコトバです。ここではミイラ化した人の屍体を言っている。

溪谷の岩石の下といっても、かなり人里に近いところであったので、このミイラは有名になり、観光名物みたいになってしまった。

春時、游人多以酒瀝口中、呼為臥仙。

春時、游人多く酒を以て口中に瀝(そそ)ぎ、呼びて「臥仙」と為す。

春ともなれば、多くの見物人が(お酒を持って、岩を伝わって穴の中まで行き)、そのミイラの口の中にお酒を注ぎこんで、「寝たきり仙人さま」と名づけて行楽に使っていた。

さらには

好事者作木榻以荐之。

事を好む者、木榻を作りて以てこれに荐(し)く。

おもしろがり屋が、わざわざ木のベッドを作って、そこまで運んでミイラの下に敷いてやった。

そのとき、ぽきぽきと腕とかあばらとか何本か折ってしまったそうである。

その後もミイラは人気で、耳や鼻に花をさされたり、煎じ薬にするといって一部削られたりしていた。

嘉祐年間(1056〜63)のある日、観光客の見ている前で、

有石方十余丈、自上而下、正塞岩口。

石の方十余丈なるもの有りて、上より下り、正に岩口を塞ぐ。

岩穴のはるか上の方から、一辺40メートルぐらい(一丈≒3メートルで計算)ありそうな巨大な岩が落ちてきて、岩穴の入り口をちょうど塞いでしまった。

幸い、死傷者は一人も出なかったが、これ以来、「臥仙」のところには誰も行けなくなってしまったのである。

豈非仙者所蛻、山霊不欲人之褻慢。

あに仙者の蛻するところの、山霊の人の褻慢(せつまん)するを欲せざるにあらざらんや。

仙人が脱ぎ捨てて行ったヌケガラである。山の神さまが、それをニンゲンどもがおもちゃにしているのを許せなかったのではないだろうか。

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宋・張師正「倦游雑録」より。もっと前に塞いでやればいいのに、とも思いますが、神さまたちの時間感覚はわれわれの一年が一秒ぐらいなんでしょうから、「こいつら怪しからんな、どうしてやろうかなーーー。よし、こうしてやるうーーーー」と五分ぐらいで行動に移したつもりでも、われわれの観点では何十年か経ってしまっているのかも知れません。いずれにしろ、みなさん観光地でミイラにいたずらしてはいけません。観光立国は難しいなあ。

 

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