令和2年6月21日(日)  目次へ  前回に戻る

本日は夏至で父の日。日食もあったみたいなんですが、気づかなかった。

日が長いと散歩する時間も長く、いろいろ考えてしまいますね。わしはほんとはいったい何がしたいのだろうか・・・。

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明の時代のことです。

・・・五年前の萬暦己酉年(1609)は夏の暑い年だったが、その年以降、

竹皆開花結米、旋即枯萎。

竹はみな花を開きて米を結び、旋(ただち)に即ち枯萎す。

竹という竹が、花を咲かせて実を成らせ、そのあとすぐに枯れ萎えてしまった。

最初はまだら竹、翌年はきば竹、三年目はふえ竹、すべての竹が枯れてしまった。

南京西華門近くの郭府園、魏公万竹園など、竹の名所は、

皆一望成空矣。

みな、一望に空と成れり。

どこもかしこも見渡す限りただの空き地のようになってしまっている。

戴凱之「竹譜」という本を読むと、

竹六十年而枯、又三年而復栄。

竹六十年にして枯れ、また三年にしてまた栄ゆ。

竹は六十年で枯れる。三年をおいて、また育ちはじめる。

と書いてある。この枯れることを「竹ガンムリ」に「紂」と書き、再び育ちはじめることを「竹ガンムリ」に「復」と書くのだそうで、竹ガンムリに「紂」と書くのは、殷の紂王が悪逆で天の怒りを買って旱害を招いてしまったのと同じように、凶作をもたらすから、だそうです。

この数年それほど天候不順は無いけれど、

今三年往矣、竹地之荒蕪如故也。

今、三年往けるも、竹地の荒蕪もとの如し。

己酉の年からもう三年以上経つが、竹林はずっと荒れ果てたままである。

うーん。

聞自江上下郡邑亡不然、意竹之気運当爾邪、可謂竹疫矣。

聞くならく、江の上下の郡邑、然らざる亡し、と。意(おも)うに、竹の気運のまさに爾(しか)るか、竹の疫と謂うべきか。

聞くところによると、長江の上流・下流の村々や町々でも、そうでないところはないそうである。思うに、これは竹にも時運というものがあって、それがこうなっているのであろうか、それとも竹の疫病なのかも知れない。

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「客座贅語」巻一より。竹も疫病で枯れることがあるようです。コロナもこれから数年、第二波、第三波が来るんでしょう。東京にいてもいいこと無いやろなあ・・・。

 

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