令和2年5月12日(火)  目次へ  前回に戻る

ああ、胆冷斎だ。いったい何を食って生き抜いてきたのか。困窮の中でもあいかわらず太っているようである。

平成20年代後半に「もういやなんじゃー!」と言って行方をくらましていた数代前の肝冷斎から手紙が来ました。どこかの山中に隠棲しているようです。

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・・・隠棲してからもう何年になりますかなあ。わしの最近の生活は、

自楽平生道、 自ら楽しむは平生の道にして、

烟蘿石洞間。 烟と蘿あり、石洞の間。

 わしは変化の無い日々をこそ、楽しんでおりますじゃ。

 靄とツタが、棲み処の岩窟にかかっている。

野情多放曠、 野情多く放曠、

長伴白雲閑。 長く白雲に伴いて閑なり。

 文明から離れたいい感じで、たいてい解き放たれ、ひろびろとした気持ちである。

いつも白い雲が、わしの行くあとについてくる―――ような、のどかな時間を過ごしている。

のですじゃ。

有路不通世、 路有るも世に通ぜず、

無心孰可攀。 心無くして孰(た)れか攀じるべけんや。

 この山中に道はあっても、もう現世に通じる道がどれだったかわからない。

 心はもう空っぽなので何かに捕らわれるはずがない。

ああ、シアワセじゃのう。

石牀孤夜坐、 石牀に孤り夜坐すれば、

円月上寒山。 円月寒山に上る。

 石のベッドに、夜一人で座っていると、

 まるい月がこの寒山の上に出てきた。

「円月」はもちろん「満ち足りた心のすがた」をあらわしている、のだと思います。

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「寒山集」より。現在の肝冷斎は、今週はたいへんです。来週もイヤになる。イヤになったので、そろそろ先輩たちを見習って消えるかのう。

 

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