令和2年4月23日(木)  目次へ  前回に戻る

しばらく寝てるとこんなになってしまうので、二年も眠っていられないでメー。

まだ明日も平日。コロナで有名人が亡くなったり、日本はダメだ、政府はカスだ、とか暗い話ばかり。久しぶりで胸のすかっとするような話を聞きたいものです。

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宋の時代のことですが、河北・磁州に護国霊応公という神さまを祀った祠があり、

毎歳二三月、天下之事神者四集、所献奇禽異獣、巧工妙伎、珍肴異果、無所不有。

毎歳二三月、天下の神に事(つか)うる者四集し、献ずるところの奇禽異獣、巧工妙伎、珍肴異果、有らざるところ無し。

毎年、春の二月〜三月のころには(大祭があって)、チャイナ中から何かの神さまに仕えていると称する巫女や道士らが集まってきて、いろんなものを奉納する。奉納されるモノは、滅多にいない鳥、変なケモノ、巧みな工作物、見事な芸、珍しい料理や不思議な果物など、無いモノが無い、というほどであった。

また、この祠には言い伝えがあって、その祭りが終わると、今度は、

隣郡之亡人多会于祠下、遊覧宴集、以至夏初、社人罷去乃帰。

隣郡の亡人多く祠下に会し、遊覧宴集して、夏初に至りて社人罷去するを以てすなわち帰る。

隣の郡の死者が祠の下に集まってきて、あちこちを見て歩いたり、宴会をしたりして、暮らす。(旧暦四月の)夏の初めになると、祭りの世話のために来ていた世話人も退去するので、そうすると死者もそれぞれの墓に帰っていくのである。

とも言われていた。

さて、方道士という人がいた。いったいどこの生まれか、いつの生まれかも、誰も知らないのだが、安徽・塗陽の西山に棲んでいるといい、

無歳不来、常以九蒸黄菁以遺交旧。

歳として来たらざる無く、常に九蒸の黄菁(こうせい)を以て交旧に遺(つかわ)す。

毎年毎年祭りにやってくる。いつも九回蒸した黄色いカブを土産に持ってきて、顔なじみに配るのであった。

このひとが、

一歳忽不至。

一歳忽ち至らず。

ある年、何の前触れも無く来なかった。

ひとびとはウワサして、

徙居他山、或以為物故。

徙(うつ)りて他山に居り、或いは以為(おもえら)く、物故せり、と。

「どこかの山中に移住したんじゃないの?」とか、「もう死んだに決まっている」とか言い合っていた。

その次の年の春のこと、祠でひと騒ぎがあった。

神座後有死者。

神座の後に死者有り。

祠の中の、神牌を納めた厨子の裏に、人が死んでいる、というのである。

その屍の上には、既に、

埃塵厚且寸余。

埃塵厚きことまさに寸余なり。

一寸(3センチ)以上もほこりやゴミがうず高くたまっていた。

「これはきたない」「ゴミ人間ですな」

と言っているところへ、「ええい、どけどけ」と役人が来た。

「うわー、ひどいな、真っ黒になって原型をとどめておらんぞ。棒かなんかで突っついてゴミをどけろ」

「へい」

官吏将検視、忽振衣而立。

官吏まさに検視せんとするに、忽ち衣を振って立つ。

役人たちが死体を取り調べようとした、ちょうどそのとき、

がさがさがさ!

それは突然衣を振って立ちあがったのであった。

「うわー!」

とみんなびっくりしたが、

「いやあ、よく寝たわい」

と塵埃を振り捨てた姿をよくよくみると、

乃方道士也。

すなわち方道士なり。

なんと、方道士であった。

前年の春に「来ないなあ」と言われていたわけですから、前前年の夏からずっと寝ていたわけである。

「なんだ、もう春か。亡者どもに付き合って酒を勧められているうちに眠り込んでしまったんじゃ」

復陪諸君酣飲、月余乃去。

また諸君に陪して酣飲し、月余にしてすなわち去る。

ちょうど大祭の季節になるところで、あちこちの有力者たちの宴席に出かけては、しこたま酔っていたが、ひと月余経ったところで塗陽に帰って行った。

自是不復来。

これよりは、また来たらず。

その後、最近は姿を見せていない。

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宋・張居正「括異志」巻七より。二年間寝るとは、漢(おとこ)よのう。久しぶりで胸のすかっとするお話ではありませんか。

 

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