「うわー、やめてくだちゃーい、おいらは逆風に弱いのでジルー」「おやびん、がんばって!」風の精ジルフェ―は逆風に弱く、東から風が吹けば西に、西から吹けば東に流される、という。
今日はお昼過ぎまでかなり強い雨でしたが、夕方には晴れました。明日は晴れるでしょう。だんだんよくなってくるのはいいことですね。明後日が平日でなければもっとよくなってくるのですが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雨の休日には勉強しましょう。何か勉強になりそうなお話はないかなあ・・・。
陳霊公行辟而言失。
陳の霊公、行いは辟にして言失う。
陳の霊公というひとは、行動は偏っており、言葉には失言が多かった。
これは勉強になりそうですね。
陳の霊公は春秋初期のひと、在位は前613〜前599年。
老臣の泄冶(えいや)さまが宮殿にやって来て、諫言した。
陳其亡矣。吾驟諫君、君不吾聴而兪失威儀。
陳はそれ亡びんか。吾驟(しばしば)君を諫むるに、君、吾に聴かずしていよいよ威儀を失う。
「このままでは陳国は滅びてしまいますぞ。わしは何度も殿さまに申し上げてまりましたが、殿さまはわしの言うことに耳を傾けず、どんどん立派さを失っていかれるのですからな。
よろしいか。
其上之化下、猶風靡草。東風則草靡而西、西風則草靡而東。在風所由而草為之靡。是故人君之動、不可不慎也。
それ、上の下を化するは、なお風の草を靡かするがごとし。東風すれば草は靡きて西し、西風すれば草は靡きて東す。風の由るところに在りて草これがために靡くなり。この故に人君の動くは慎まざるべからず。
まずは、上位の者が下位の者に影響を与えるのは、風が草を靡かせるのと同じなんですぞ。東から風が吹けば、草は西に靡くし、西から風が吹けば草は東に靡く。風がどちらから吹くかということで、草はそれによって靡くのである。ですから、君主たる者、行動には慎重を期さねばなりません。
それから、
夫樹曲木者、悪得直景。人君不直其行、不敬其言者、未有能保帝王之号、垂顕令之名者也。
それ、曲木を樹(う)うる者は、いずくんぞ直景を得んや。人君のその行を直くせず、その言を敬しまざる者、いまだよく帝王の号を保ち、顕令の名を垂るる者あらざるなり。
次に、曲がった木を植えたひとは、どうやってもまっすぐな影を得ることはできません。君主でありながらその行動を正直にせず、そのコトバを慎重にしない者が、古来、帝王の称号を持ち続け、すぐれた指導者との名誉が鳴り響いたためしはございませんぞ。
「周易」の繫辞上伝にこう申します。
言行君子之枢機、枢機之発栄辱之主。君子之所以動天地。可不慎乎。
言行は君子の枢機、枢機の発するは栄辱の主たり。君子の天地を動かす所以なり。慎まざるべけんや。
「コトバ」と「行動」は君子にとって、扉でいえば「とぼそ」(枢)、弩(いしゆみ)でいえば「引き金」(機)にあたるものです。そして、「とぼそ」「引き金」が動く時、栄光にあふれるか屈辱に苦しむかが決まってしまいます。「とぼそ」「引き金」こそが君子が世界を動かす重要な手法なのですから、慎重に扱わなければなりません。
ちなみに、国政の重要事項を「枢機」といい、あるいはローマ教皇を選出する高位聖職者を「枢機卿」と訳すのも、ここに典拠があります。
・・・ところが、
今君不是之慎、而縦恣焉。不亡必弑。
今、君これ、これを慎しまずして、而して縦恣す。亡びざれば必ず弑されん。
いま、如何ですか。殿さまは、まったく慎重にはなさらず、逆に好き放題にしておられる。国が亡びるか、さもなくんば殿さまが臣下にぶっ殺されましょうぞ!」
「なんと」
霊公はびっくりして、訊いた。
「それはほんとうか」
「ほんとうですぞ」
「いやいや、どうして断言できるんじゃ? おぬしは予言者か?」
霊公聞之、以泄冶為妖言、而殺之。
霊公これを聞き、泄冶を以て妖言を為せりとして、これを殺せり。
霊公は話を聞いて、泄冶さまが怪しいコトバを使って世を混乱させた、として、殺してしまった。
実際には、左右の者が
「泄冶のじじい、妖しいことを言いおって。コロしてやってよろしいですか」
と言ったのを霊公は黙ってうなずいたので、この左右の者たちに殺されたのでございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
漢・劉向「説苑」巻一「君道」篇より。いつか庭付きの家に住めたらぐにゃぐにゃに曲がった木を植えよう、と。なお、このあと霊公は女性関係がもとで弑されました。有名な「夏姫の変」のせいです。詳しくは「春秋左伝」宣公十年(前599)を見よ。
「君道」篇なので、主権者は諫言をしてくれた人をコロしてはいけませんよ、というお話のようですが、わたしどもシモジモとしても、泄冶さまのようにヤラれないように、本当のことは言わないようにしなければならない、という勉強ができました。