「マスクのつけかたが変でニャン。ちゃんと鼻も口も蔽わないとダメでニャン!」
今日はいい天気でしたが、夜になると寒い。
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もうサクラも散ってしまいましたね。しかし、友だちが来たので山寺に行ってみよー。
人間四月芳菲尽、 人間(じんかん)の四月は芳菲尽くるも、
山寺桃花始盛開。 山寺の桃花、始めて盛開す。
ふつうの人間世界では、四月ともなれば香りよい花はもうみんなおしまいじゃが、
山中の寺に来てみたら、モモの花が、いまやっと満開になっていたんじゃよ。
うーん。
長恨春帰無覓処。 長く恨みぬ、春帰して覓(もと)むる処無し、と。
不知転入此中来。 知らず、転入してこの中に来たりしとは。
長いこと、春が過ぎて行ってしまった後、どこに探しに行けばいいのかわからくて困っていたが、
やっとわかった、あちこちうろついたあとで、この山中に来ていたのじゃなあ。 (「大林寺桃花」)
よかったですねー。
ここで歌われている山寺は、江西の名勝地・廬山にある上大林寺という山奥のお寺なんです。
大林窮遠、人跡罕到。山高地深、時節絶晩。
大林窮めて遠く、人跡の到ること罕なり。山高く地深く、時節絶して晩(おそ)し。
大林寺はたいへん遠いところで、あまりニンゲンの行くところではない。山の高いところ、内陸深いところにあって、季節の進み方がはなはだ遅い。
於時孟夏四月、如正二月天、梨桃始華、澗草猶短。
時に孟夏四月、正に二月の天の如く、梨桃始めて華ひらき、澗草なお短かりき。
われわれが行ったのは、夏の初めの旧暦四月、ちょうど旧暦二月ころのような天候で、ナシやモモがやっと花開き、谷に草はまだ育ちはじめたばかりで短かかった。
そこには世間と縁を絶った僧侶たちがいるのである。
人物風候、与平地聚落不同。
人物風候、平地聚落と同じからず。
人も植物も風景も気候も、平地の町や村とは違っていたのだ。 (「遊大林寺序」)
ああ、楽しかったなあ。
そのあと山を下りまして、長江のほとり、江州の町で人とお別れの宴会を開いた。
「これこれおまえさん、飲みすぎじゃ」
「いやいや」
不独別君須強飲、 独り君に別るるによりて強飲を須(もち)うるのみならず、
窮愁自要酔如泥。 窮愁、自ら要(もと)めて酔うこと泥の如し。
おまえさんとお別れだからというだけの理由で、こんなに飲んでいるわけではない。
深い悩み事があって、わし自身が、泥のように酔っ払ってしまいたいからなのだ。 (「北楼送客」)
このとき元和十二年(819)、作者は四十七歳で、江州別駕という閑職に飛ばされていて、大唐帝国の将来と人民たちの窮乏に苦悩していたらしいんです。ちなみに江州は今の江西・九江、一昨日(昨日も)題材にしました石鐘山のある町の旧名です。
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唐・白居易「白氏長慶集」より。都会から山寺に行くのも、ウィルスを持ち込んでしまうかも知れないのでまだまだ控えねばなりません。