令和2年4月12日(日)  目次へ  前回に戻る

「外出自粛してニャいのニャン!」旅の娘、マスクねこに叱られる。

コロナでみなさんなかなか外出とかできないと思いますので、ヴァーチャルで観光しに行ってみましょう。

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江西・湖口は、長江(このあたりでは九江と呼ばれる)と鄱陽湖が交わるところで、そこに石鐘山がある。

乾隆己酉の年(1789)の初秋、わしは湖南から江浙に帰る途中、湖口に宿泊し、小舟を雇って石鐘山を遊覧した。

小舟を操る土人(地元民)が言うには、上鐘崖と下鐘崖という二つの絶壁があり、

「まずは上鐘崖から回りまっせ」

とのこと。

舟が溪谷に入り込むと、

初見巨石無数、如楼閣然、汨没中流、而又有如牛馬、如虎豹者、盤踞於楼閣之下。

初め巨石の無数にして、楼閣の如く然るもの、中流に汨没(こつぼつ)するを見たり。而してまた牛馬の如き、虎豹の如き有りて、楼閣の下に盤踞せり。

最初は、大きな岩が無数に目に入ってきた。まるで何階建てかの建物のようだ。それが、川の流れの中に沈み隠れているのである。あるいはまた、ウシのようなもの、ウマのようなもの、トラのようなもの、ヒョウのようなもの、そんな岩があって、建物のように巨大な岩の下にうずくまっているかのように見え隠れする。

又有一石人、高三丈許、作彎弓引箭之勢。上題英雄石三字。

また一石人の高さ三丈許(ばか)りなる有りて、弓を彎(ま)げ箭を引くの勢を作す。上に「英雄石」三字を題せり。

次に、巨大な石の人が立っているのが見えた。高さは約10メートルもあろうか、弓を絞り今しも矢を発しようという姿である。その岩より上の崖に「英雄石」という三文字が見える。

一丈≒3.2メートルで計算しました。

時東北風甚急、仰見石壁、一削千仭、而怒涛搏撃石罅、其声果如洪鐘。

時に東北風はなはだ急にして、石壁を仰ぎ見るに、一削千仭され、怒涛は石罅を搏撃して、その声果たして洪鐘の如きあり。

ちょうどこのとき、東北の風がたいへん強く、その中で岩壁を仰ぎ見ると、まるで数千メートルも削られたように直立しており、激しい波が岩の裂け目にうち当たって、まるで巨大な鐘が鳴らされているような音がするのであった。

一仭は七尺です。この文章が書かれたころの一尺は30センチ強。千丈≒2000メートルぐらいになりますが、そんな崖あるはずないので、譬喩的な表現です。

波の打ちつける音があまりにうるさいので、

「うひゃあ」

とわしは耳を覆った。これが「石鐘山」の名の由来か。

正駭愕間、忽見紅牆古廟。隠隠有人。舟師指曰、此観音崖也。

正に駭愕するの間、忽ち紅牆の古廟を見る。隠隠として人有り。舟師指して曰く「これ、観音崖なり」と。

ほんとうに驚き愕然としている間に、今度は紅い柱の古い廟が現れた。すぐ隠れて見えなくなるが、人もいるようである。船頭の地元民は指さして「これが観音崖ですだよ」と教えてくれた。

岩陰に舟をつないで、

摂衣而上、登一小閣、閣之左崖有凌波仙掌四大字。

衣を摂りて上がり、一小閣に登るに、閣の左崖に「凌波仙掌」の四字が巨大に書かれていた。

服をつまどりながら舟から上がり、小さな建物に入った。建物の左側の崖には、「波を凌ぐ仙人のてのひら」と巨大な字で書かれていた。

「仙人掌」は(「サボテン」とも訓じますが)もともとは仙人の像にお盆を持たせたものを野外に置いて、そのお盆に月から降りる水(実際には空気中の水分の結露)を貯めて、薬用にするための装置です。ここはその建物(「小閣」)のことを比喩的に「仙掌」と呼んでいるらしい。

憑閣而望、但見風帆乱飛、半入九江、半入鄱陽湖也。

閣に憑(よ)りて望むに、ただ風帆の乱れ飛びて、半ばは九江に入り、半ばは鄱陽湖に入るなり。

建物の手すりに寄りかかって遠くを見ると、ただ風をはらんだ帆が舟を乱れ動かして、舟のうちの半分は長江の方へ行くし、残り半分は鄱陽湖の方へ入って来るのである。

「ん? なんだこれは」

傍有石穴、深不可測。

傍らに石穴有りて、深さ測るべからず。

建物の側に、岩に穴が開いている場所があった。底はどれぐらい深いのであろうか。

「だんな、その穴を不用意に覗き込んではいけませんよ」

「え? なんだって? さっきから耳がじんじんしたままなんだ・・・」

と言いながら、その穴を覗き込むと・・・

―――おまえが深淵を覗き込むときは、深淵もまたおまえを覗き返しているのだ! (F.ニーチェ「善悪の彼岸」)

はい、今日はここまで。

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「履園叢話」第十八「古蹟」より。今日はどうせ自粛だから家で作業しようと思っていたのですが、作業なんかできるというかするはず無いのであった。何も進まなかったのである。

 

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