多くの臣下に見放され、ついに孤立してしまったぶたとの。しかし彼がそうなるのは以て然るところの理であったので、誰も怨み怒るものはない。
世の中には人に訊かないとわからないことも多いです。
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「先生、教えてくだちゃい、
生棟覆屋怨怒不及、弱子下瓦慈母操箠。
生棟、屋を覆(くつが)えすとも怨怒及ばず、弱子、瓦を下せば慈母箠(むち)を操(と)る。
―――生木で作った棟木が家を引っくり返してしまっても、誰も怨んだり怒ったりしない。けれど、幼い子どもが土器のかけらを落とすと優しい母親もムチを手にする。
というコトバがありまちゅが、どういうことですか?」
「うむ、なかなかいいコトバに気が付いたな。よいか、むかしむかし、
神農教耕生穀、以致民利。
禹身決瀆斬高橋下、以致民利。
湯武征伐無道、誅殺暴乱、以致民利。
神農は耕を教え穀を生じ、以て民の利を致す。
禹は身(みずか)ら瀆を決し、高きを斬り下(ひく)きに橋し、以て民の利を致す。
湯・武は無道を征伐し、暴乱を誅殺し、以て民の利を致す。
超古代の聖人・神農は、農耕により穀物を作ることを教えた。これはひとびとのためになった。
伝説的な夏王朝の創始者・禹王は、自分みずから用水路を引き、水流を阻む高い部分を切りとおし、低湿地には橋をかけて通行できるようにした。これはひとびとのためになった。
殷の湯王、周の武王は、それぞれ無道な夏の桀王、殷の紂王を討伐し、彼ら暴虐な者たちをぶち殺した。これはひとびとのためになった。
明王之動作、雖異其利民同也。
明王の動作は、異なりといえどもその民を利するは同じきなり。
すばらしい王者たちのおやりになったことは、それぞれまったく違うことをしているのだが、ひとびとのためになったという点では同じなのである。
故曰、万事之生也、異趣而同帰古今一也。
故に曰く、万事の生ずるや、趣(おもむ)きを異にするも同帰するは、古今とも一なり、と。
そこでこういうコトバがある。
―――この世に起こるあらゆることは違う様子であるのだけれど、結局同じところに行きつくという。むかしも今も同じである。
と。
・・・というわけなんじゃ」
「へー。そうなんでちゅか。しかし、それとおいらの質問とどう関係があるのですかな?」
「うむ、なかなかいい点を撞いてきたのう。
生棟撓不勝任、則屋覆。而人不怨者、其理然也。
生棟撓みて任に勝(た)えざれば、すなわち屋覆る。しかれども人怨まざるは、その理然ればなり。
生木の棟木が(乾いていないので)重さでたわんで支えられなくなって、屋根が崩れて家が壊れてしまうことがあるが、しかし誰も棟木のせいだと怨まない。生木が重いものを支えられないのは、当たり前のことだからだ。
弱子慈母之所愛也、不以其理動者、下瓦、則慈母笞之。
弱子は慈母の愛するところなれども、その理を以て動かざれば、瓦を下すもすなわち慈母これを笞うたん。
幼い子どもは優しいお母さんの可愛がる対象であるけれど、当たり前のことを守らずに、土器のかけらを投げおろしたりすれば(危険だから)優しいお母さんでもムチを手にして
「何やってるのよ!」
とムチで子どもを殴って教えるであろう。
すなわち、
以其理動者、雖覆屋不為怨、不以其理動者、下瓦必笞。
その理を以て動かば、屋を覆すといえども怨まれず、その理を以て動かざれば、瓦を下すも必ず箠す。
当たり前のことでそうなったなら、屋根が崩れて家が壊れてしまったとしても怨まれることは無く、当たり前のことを守って行動しないなら、土器のかけらを投げるだけでも必ずムチ打たれる。
ということになるのじゃ。
これが
生棟覆屋怨怒不及、弱子下瓦慈母操箠。
生棟、屋を覆(くつが)えすとも怨怒及ばず、弱子、瓦を下せば慈母箠(むち)を操(と)る。
―――生木で作った棟木が家を引っくり返してしまっても、誰も怨んだり怒ったりしない。けれど、幼い子どもが土器のかけらを落とすと優しい母親もムチを手にする。
というコトバの意味なんじゃよ」
「へー。なるほど、わけわかんないけど、何やら深い意味があったんですね。人に訊いてみると賢くなれるなあ」
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「管子」形勢解第六十四より。現象的にはよくわかりますけど、ほんとに深い意味があるんでしょうか。人に訊いてもよくわからない。二つの「理」が、朱晦庵先生のいう「所以然之理」(以て然るところの理=科学的真理)と「所当然之理」(まさにしかるべきところの理=人として守らなければならない当為)が分別せずに扱われていて、詭弁の臭いがぷんぷんします。生木は怨まれなくても、大工さんとかは怨まれ怒られるし、「子どものしたことでしょ」でうそぶく母親もいそうなものだが。おいらみたいなコドモにもオトナになればわかるのかなあ。
今日のところは、真理とか教訓を汲み取るのは難しそうなので、「棟木撓みて屋覆る」(棟木をしっかりしたものにしておかないと屋根がひっくり返る=重要な部分をしっかりとやらなければならん)と「弱子瓦を下さば慈母も箠を操る」(ある一定の範囲を超えると、それまで支持してくれていた人からも批判されるようになる)という二つの「言い回し」を覚えていただければよろしいでしょう。