いよいよ終着点か。
もうダメだ。ほんとうに世俗社会でやっていくのは無理だ。神仙の世界に行って自由に生きたいものだが・・・
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宋の時代のことです。
廬山の帰宗寺に、張王さまの祠があった。
「張王さま」というのは、廬山の帰宗寺に祀られている守り神のような神さまです。もともとは広徳という町に祀られていた土地の神さまだったんですが、かつて生きた人間の姿になって帰宗寺に華厳経の勉強をしに来たそうで、そのお礼に目薬の処方を僧に教え、おかげでお寺はたいへん儲かったので、寺の中に祠を建ててその木像を祀り、
以五戒莅香火、日易華厳一巻。
五戒を以て香火に莅(のぞ)み、日に「華厳」一巻を易(か)う。
五つの戒律を守ったひとがその像にお香と灯火を捧げ、「華厳経」を一巻づつ置き、毎日取り換えていた。
「五戒」は、殺さず、異性と交わらず、盗まず、お酒を飲まず、肉食しない、という五つの戒めです。
さてさて、わしのよく知っている禅僧が、あちこちの寺をめぐって修行していたころ、この帰宗寺を訪れたことがあった。
見寺僧有口吻欹不正者。
寺僧に口吻の欹にして不正なる有る者を見たり。
帰宗寺には当時、口のひん曲がった僧がいた。
その僧のいうには、
往未削髪時莅事張王祠。嘗適市得彘肉、不能忍饞。帰易華厳。
往(さき)にいまだ削髪せざる時、張王祠に莅事せり。嘗て市に適(い)きて彘肉を得、饞(むさ)ぼるを忍ぶあたわず。帰りて「華厳」を易う。
「まだ髪を剃る前の小僧のころ、張王さまの祠のお世話をするシゴトをしていましたんじゃ。あるとき、市場でブタ肉を売っておって、がまんすることができなくなって買い食いをしてしまったことがありましてのう。帰ってきてから、張王さまの前の「華厳経」を取り換えた。
それから、
去臥寮中、見李大尉持撾立其側。神挙手一指、口随指傾側。
去りて寮中に臥すに、李大尉の撾(た)を持ちてその側に立つを見る。神手の一指を挙ぐるに、口、指に随いて傾側せり。
そこを離れて寮の自室で寝ていたところ、ふと目を開けると、そばに李大尉さまが、(太鼓を打つ)バチを持って側に立っておられた。
「?」
李大尉さまが手の指を一本、ぐい、とあげたところ、わしの口はその指に引っ張られるように歪んでしまいましたんじゃ。
今弗之療、以識吾過。
今、これを療せざるは、以て吾が過ちを識るがためなり。
それからずっと、治療しようなどと思ったことはござらぬ。わしのかつての過ちをいつも認識できるようにしておくために」
なるほど、ためになるハナシだなー。
ところで、突然「李大尉」というひと?神さま?が出てきましたが、
李大尉者、吾郷里人、死水、而能神。相伝事張王、張王所至塑之祠下。
李大尉なる者は、吾が郷里人にして、水に死し、而してよく神たり。張王に事(つか)うと相伝え、張王の至るところ、これを祠下に塑す。
李大尉というのは、もともとわしと同じ町の生まれ(←著者が「沈」という姓であったことしか伝わらないので、どこの町なのかわかりません)で、いったい何をしていた人なのか皆目わからないのじゃが、どうやら水死したらしい。そして、死後、神さまとなり、伝説では、張王さまにお仕えしているというのである。それで、張王さまが祀られているところでは、その祠に彼の塑像も祀られているのだ。
ちなみに、張王さまは「王」なので、その部下の李大尉は、
今封為威済侯云。
今、封じて威済侯と為ると云えり。
今では(武官である大尉から出世して)威済侯という貴族にしてもらっているのだそうである。
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宋・佚名氏「鬼董」巻三より。チャイナの神さまの世界は宮仕えです。自営業では無いようです。