「これだけ武器に差があって、さらに能力や識見、人格にまで差があったりしたら、さすがのこのぶたとの様でも逃げ出すしかないでぶー」
大寒になってきたので寒いですね。
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寒くてかなわないのですが、いつ何が起こってもいいように、戦争に関連した勉強もしておきましょう。
いにしえには「五兵」がございました。この場合の「兵」は今でいう「武器」のこと、「五兵」は「五種類の武器」です。
ではなにが五種類の武器かというと、諸橋大漢和辞典を閲するに、
い)弓矢・殳(しゅ)・矛(ぼう)・戈(か)・戟(げき)(周礼注・司馬法)※なお、殳・矛・戈・戟の四つは和訓では全部「ほこ」になってしまいます。
ろ)戈・殳・戟・酋矛・夷矛(周礼注・鄭司農説)※酋矛(ゆうぼう)・夷矛(いぼう)はいずれも「矛」の変形と想像されます。
は)戈・殳・戟・酋矛・弓矢(周礼注・鄭司農説)※ろ)は戦車兵の兵器で、こちらは歩兵の兵器だ、とのこと。
に)矛・戟・鉞(えつ)・盾・弓(春秋穀梁伝注)
ほ)刀・剣・矛・戟・矢(淮南子注)
へ)矛・戟・弓・剣・戈(漢書顔師古注)
六説がある、とのこと。
勉強になります。
さて、
凡兵有大論。
およそ兵には大論有り。
だいたいですな、軍事には通論があるものなんです。
今度の「兵」は「軍事一般」のことです。
必先論其器、論其士、論其将、論其主。
必ずまずその器を論じ、その士を論じ、その将を論じ、その主を論ず。
必ず、最初は兵器について考察する必要があり、次に兵士について考察し、次に将軍について考察し、それから君主について考察しなければなりません。
「君主」は例によって、「主権者」と読み替えると、わかりやすいです。
どういう点を考察せねばならないのか。
器濫悪不利者、以其士予人也。士不可用者、以其将予人也。将不知兵者、以其主予人也。主不積務於兵者、以其国予人也。
器の、濫悪にして利ならざるものは、その士を以て人に予(あた)うるなり。
士の、用うべからざるものは、その将を以て人に予うるなり。
将の、兵を知らざるものは、その主を以て人に予うるなり。
主の、兵に務めを積まざるものは、その国を以て人に予うるなり。
不ぞろいで悪質で研ぎ澄まされていない兵器を使わせれば、兵士たちを他国の思い通りにさせることになってしまう。
訓練されていない兵士を率いさせれば、将軍たちを他国の思いどおりにさせることになってしまう。
軍事について理解できていない将軍たちを用いれば、主権者たちを他国の思いどおりにさせることになってしまう。
軍事について日頃から準備をしようとしない主権者たちは、自分の国を他国の思いどおりにさせることになってしまう。
いやー、これはまいったな。
しかしながら、五種類の兵器のうち、
一器成、往夫具、而天下無戦心。
一器成りて往夫具(そな)われば、天下に戦心無からん。
一種類の兵器だけでも整備して、さらに移動力のある兵士が具備されれば、世界に、我が国を攻めようという国がなくなる。(勝てないのがわかるからである。)
二器成、驚夫具、而天下無守城。
二器成りて驚夫(ぎょうふ)具われば、天下に守城無からん。
二種類目の兵器も整備して、さらに敵を驚かすような勇猛な兵士が具備されれば、世界に、我が国の攻撃を防ごうという城はなくなる。(守りきれないのがわかるからである。)
三器成、游夫具、而天下無聚衆。
三器成りて游夫具われば、天下に聚衆無からん。
三種類目の兵器まで整備して、さらに各国に遊説する言論人も具備されれば、世界に、我が国をどうこうしようとして集まるひとびともいなくなる。
んだそうです。三種類までで十分なんです。
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「管子」参患篇第二十八より。軍事の通論?を論じて古来そこそこ有名な一節なので、東アジア漢字文化圏のひとならたいてい知っていることだと思います。東アジアはお花畑だからいいけど、もし隣にこんなこと考えながら武器を磨いているひとたちがいたら困るなあ。