「お、新入りのおばけか。ついてきな、挨拶回り先を教えてやるぜ」
「こいつはぶたとのだ。かなりのびびりだぜ」「お、おばけごときにびびるこのぶたとのではないのでぶぶぶるぶるぶる・・・これはむしゃむしゃむしゃぶるぶるぶる・・・」
あと数時間で消費税10パーセントに。消費税ファンなので税率が上がるのはいいのですが、軽減税率が適用されるものが、あまりにも欲しくないものばっかりなので嫌気がさします。
「そんなに嫌気がさすなら順世されればどうですか?」
「そうですなあ、順世しようかなあ」
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八世紀、唐の時代に、南泉普願というえらいお坊さんがおったんじゃ。
師将順世、第一座問、和尚百年後、向甚麼処去。
師まさに順世せんとして、第一座問う、「和尚百年の後、甚麼(なに)の処に向かいて去らんとす」と。
このえらいお坊さんが、いよいよこの世から自然に次に行かれる、というときになって、一番弟子の僧が訊ねた。
「和尚は人生を終えられた後、いったいどこに向かって旅立たれるおつもりなのですかな」
和尚が答えた、
山下作一頭水牯牛去。
山下に一頭の水牯牛と作(な)らん。
「水牯牛」はメスの、あるいは去勢されたオスの、耕牛。
「門前の農家へ行って一頭の耕牛になるんじゃよ」
現世で自由な精神で好き放題に生きさせていただいたんで、極楽とかに行かなくてもいいんで、これから門前の檀家でマジメに働かせていただこう、というらしい。
一番弟子は言った、
「へー、そうなんですか。それでは、
某甲随和尚去還得也無。
某甲(むこう)和尚に随いて去ること、また得るや無きや。
「某甲」は禅僧の自称。
わたくしも和尚の後に随って同じところに行ってもよろしいか。だめですか」
和尚は言った、
爾若随我、即須啣取一茎草来。
爾もし我に随わんとなれば、即ち一茎草を啣(くわ)え取りて来たるべし。
「おまえさん、わしに随って来たいというのなら、草を一束くわえて持って来てもらわねばならんぞ」
手ぶらではダメだ。
それから師は、
示疾、告門人。
疾を示し、門人に告ぐ。
病気であることを明らかにして、弟子たちを集めると、おっしゃった。、
星翳燈幻亦久矣。 星は翳り燈は幻なることまた久しきかな。
勿謂吾有去来也。 謂う勿れ、吾に去来すること有り、とは。
ずいぶん以前から、星は光を失い、灯火もまたマボロシであったのだ。
わしが行ったり来たりしたのだ、などと言うてくれるでないぞ。
言訖而逝。
言訖りて逝けり。
その言葉が終わると、亡くなった。
生死はずっと前から超越して、どうでもよくなっていたのだ。
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「五燈会元」巻三「南泉普願」章より。カッコいい。おいらも逝くときはこんな感じがいいですね。なお、南泉禅師はネコを斬り殺しちゃった(「南泉斬猫」)のでも有名なひとです。「虐待ニャー!」「ニャー!「ニャー!」と抗議の声がうるさいなあ。そのお話はまたいずれいたしましょう。
「こちらはこのあたりを締めておられるリリーねこさんだ。ようくご挨拶しておくんだぜ」(以下、あいさつ回り先続く)