万物が翳る秋は、デビルの季節でぶー! ピヨ―! ピヨ―! と意気上がるぶたデビル、ひよこデビルたちだ。どんな悪を成すのであろうか。
そろそろ秋になってきました。また、身心の疲れ方からみてそろそろ週末かと思ったが、こちらはまだのようである。
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初秋の夜に、
偶坐蒲団。
たまたま蒲団に坐す。
何となく座布団に座っていたところ―――
紙窗上月光漸満、樹影参差。
紙窗上に月光漸く満ち、樹影参差(しんし)たり。
窗に張った紙に、月の光がだんだんと満ち溢れ(明るくなって)、長いの、短いの、樹木の影がさしてきた。
「参差」(しんし)は、古代より使われ、「長短ふぞろいでばらばら」とか「たがいちがいに」といった状況を表わすオノマトペ。
紙に映った月の光や樹木の影は、まぼろしではないにしても実体ではない。果たしてこれを実在と呼ぶべきものなのであろうか。
それを思うと、
所見非空非色。
見るところは空に非ず、色に非ず。
わたしがこの目で見ている、と認識しているものは、実はすべて何ものかの影であって、まぼろしでもなく、実体でもないのではなかろうか。
うーん。どうかなあ。どうでもいいような気もするけどなあ。しかしおれ自体が何ものかの影なのかも・・・。
まことに心地よい思索の時間である。
此時雖名衲敲門、山童且勿報也。
この時、名衲(めいどう)の門を敲くといえども、山童しばらく報じること勿れ。
「名衲」(めいどう)の「衲」は坊主の着る僧衣のことですが、「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」のことわざどおり、坊主のことも指します。
もしもこの時に、名の有る坊主が訪問してきてわしの庵の門を敲いたとしても、取次の童子よ、しばらく放っておいて、
「先生、お客さんでちゅよ」
と報せに来なくてよろしい。
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「酔古堂剣掃」巻五より。山中にいる童子は当然仕事やる気無しなので、「わーい、さぼってもいいんだー、うっしっしー」と大喜びしそうである。