令和元年8月8日(木)  目次へ  前回に戻る

8月8日は「世界ネコの日」。油断しているとネコの町となってしまうかも知れませんので、気をつけよう。

暑かった。もうダメだ。だが明日から休みだからよかった・・・と思ったら明日も仕事が。しかもこれはキツイやつなのでもうダメだ。

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もうダメなので歌でも歌います。ああーーーー、

長歌破衣襟、 長歌すれば衣襟を破り、

短歌断白髪、 短歌すれば白髪を断つも、

秦王不可見、 秦王は見るべからざれば、

旦夕成内熱。 旦夕に内熱を成す。

 長いうたをうたうと、(その激しさに)衣の衿のところが破れ裂けてしまい、

 短いうたをうたうと、もう白くなったおれの髪が(悲しみのために)また落ちてしまう。

 それでも、秦王さまに逢うことはできぬ。

 朝にも夕べにも、おれの体の中は熱くなる(が、天下のために働くすべがない)。

この「秦王」というのは誰であろうか。古来注釈者たちが悩んできたところです。戦国の時代に商鞅や呂不偉を登用して天下を取った代々の秦の王をいうのか、南北朝時代に一度は華北を統一した前秦の苻堅をいうのか、それとも作者自身がその一族であると称する唐帝国の、実質上の建国者である太宗皇帝(即位前は秦王)をいうのか、など諸説あるのですが、ここでは現在の有力説どおり、歴史上の誰かを指すのではなくて「偉大な王」という意味で使っている、と考えておきます。(→こちらも参照のこと

ということで、おれを使いこなしてくれるすばらしい主君もいませんので、韜晦して暮らします。

渇飲壺中酒、 渇しては壺中の酒を飲み、

飢抜隴頭粟。 飢えては隴頭の粟を抜く。

凄凄四月闌、 凄凄として四月闌(たけ)ゆき、

千里一時緑。 千里一時に緑なり。

 のどが乾いたら壺の中の酒をちびちび飲もう。

 腹が減ったら畝に生えているアワを抜いてきて食ってしまおう。

 そんなさびしげな生活をしているうちに、今年も四月となって春は過ぎ、夏が来た。

 はるか千里まで、いっぺんに青々と新緑の季節だ。

おれは夜、出かけた。

夜峰何離離、 夜峰は何ぞ離離たる、

明月落石底。 明月、石底に落ちぬ。

 夜の峰は、どうしてあんなに離れ離れにあるのだろう(気高いものはみな孤立しているのだ)。

 (おれが憧れていた)明るい月は、空から転がり落ちて、川底の石の上に落ちた。

突然、月が落ちてきた、というのです。このひと大丈夫か?

徘徊沿石尋、 徘徊して石に沿いて尋ぬれば、

照出高峯外。 照りて出づ、高峯の外。

不得与之遊、 これとともに遊ぶを得ず、

歌成鬢先改。 歌成りて鬢まず改まれり。

 川底の石のまわりをぐるぐるとさまよい歩いて探していると、

 (月はいつのまにか)高い峰の向こうに輝き出ていた。

幻覚だったんです。

 あのひと(月)とともに行動することはできないらしいので、

 おれの歌は出来たが、その間におれの鬢は(失意で)真っ白に変わってしまっていた。

このひとはかなり危険な精神状態といえよう。

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唐・李賀「長歌続短歌」(長き歌、続けて短き歌)。李賀は字・長吉、唐の後半の人(791〜817)で、「天才絶」(天の才能の最高のもの)を李白とし、「人才絶」(人間の才能の最高のもの)を白楽天とすれば、彼こそ「鬼才絶」(幽魂の才能の最高のもの)であると評された(「鬼才」の語の出所です)が二十代で死んでしまったというすごいひとなので、李白よりさらに危険な精神状態の人だったろうと想像されます。

肝冷斎もはやく休ませないと危険であるのに、明日も仕事をさせるとは。

 

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