令和元年6月21日(金)  目次へ  前回に戻る

暑くてハラが減ると、オロカモノは一段とやる気無しとなり、何もしないのでどんどんハラが減ってきて困ることが多い。

また体調よろしくない中、明日も出かけないといけあいので早く寝たいところである。なのにまだ起きてこんな更新をしているとは、わしはもしかしたらオロカモノなのか?

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そんなことはありませんぞ。なにしろわしらはゲンダイ人ですからな。

唐末か五代のころのできごとだと思いますが、僧侶から還俗して役人になった王可容という友人が教えてくれたのです。あるとき、

游南中山寺、遇大雪、旬日闕食、数十徒一粥而度。

南中の山寺に游するに、大雪に遇い、旬日食を闕きて、数十徒、一粥にして度す。

南方の山中の寺に滞在していたところ、大雪に振り籠められて、十日ほどの間どこにも出られず、食べるモノが無くなって、寺にいた数十人が、一杯の粥で過ごすという羽目に陥った。

ようやく雪が晴れたのだが、今度は困ったことに

無財物得出糴。

出でて糴(てき)を得んとするも財物無し。

出かけて食べ物を買おうとしても、おカネやおカネに変えられそうなものが全く無い。

みんなハラが減ってどよーんとしていると、一人の風采の上がらぬ僧が、

「このままではみなひもじくてあの世行きですぞ」

と言うので、みんな力なく頷いた。その僧は、「うーん」としばらく考えこんでいたが、

貧道有芸、可済諸坐主。

貧道(ひんどう)に芸有り、諸坐主を済(すく)うべし。

「拙僧はある術を知っておりまして・・・(本来なら座主にもなろうというお偉い僧の)みなさんを救うことができるかも、知れません」

そして、台所に行って、

将一銅銚子、於爐火上、取浄瓶瀉水銀、衣帯間解一貼散薬、似壁土、揉于銚中。。

一銅銚子を爐火上に将(ひ)き、浄瓶を取りて水銀を瀉(そそ)ぎ、衣帯間より一貼散薬の壁土のごときを解きて、銚中に揉む。

一本の銅製の銚子を持ってきますと、これをいろりの火の上にかけた。次いで、水差しを持って来て、これに水銀を注ぎこんだ。次に今度は自分の着けている帯に大事にはさんであった紙袋を出してきて、その中から粉薬を出すと、水差しの水銀とこの薬を火にかけた銚子の中に入れて、銚子をゆっくりと揺り動かした。

ぐつぐつぐつ・・・

煎之、逡巡成一片白金、可数両。

これを煎るに、逡巡して一片の白金、数両ばかりを成せり。

「逡巡」は「あとじさりして歩く」という意味から「ぐずぐずする」という意味になり、さらに「ぐずぐずして経過した時間」ということで、「しばらくして」という意味にもなります。

この銚子を煮込みまして、しばらくすると、

「ふむ、できたぞ」

と僧侶が銚子をひっくり返すと、中からひとかけらの白銀が転がり出てきた。100グラムぐらいはあろうか。

「一両」は重さの単位で唐・宋代は40グラム前後とされます。なので数両を「100グラムぐらい」と表記してみました。

「なんだ、銀かよう」「食べ物が出てくるかと思って期待して損した」「ああ、腹減ったなあ・・・」

とぶつぶつ言うオロカモノもいたと思いますが、買い出し担当の僧はこれを手にして出かけ、

換胡餅来食、衆驚之。

胡餅に換えて来たりて食らわせ、衆これに驚けり。

ゴマ団子を買って帰って来て、みなに食わせたので、みんなこの僧の術に、大いに感心した。

「これはすばらしい、これからはもうわしらはくいっぱぐれがないのう」「今日からはおまえさんがわしらの上座じゃ」「さあさあ、明日の分もはやく作ってくだされよ」

とオロカモノどもは賞賛し、期待したのだが、

至明晨失所在。

明晨に至るに、所在を失えり。

翌朝になってみると、その僧はもうどこにもいなかった。

以降は自分を利用しようという者ばかり現れることを見越して、逃げ出してしまったんですなあ。

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五代・陳纂「葆光録」巻一より。本当に昔のやつはオロカモノが多いので怪しからんぐらいです。わしらゲンダイ人は賢いから、この方のような名僧をもっともっと持ち上げて、うまく利用してやれただろうになあ。惜しいことをしたなあ。

 

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