明治大正期のぶた平野地方を指導したぶたのえらいさんの図。こんなえらそうな方の前ではえらそうにはできません。
えらそうにしてはいけません、とはよく言われるのですが・・・
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傲骨不可無、傲心不可有。
傲骨は無かるべからざるも、傲心は有るべからず。
人を見下すような気構えは無くてはいけないが、人を見下すような気持ちはあってはならない。
なんでかと言いますに、
無傲骨則近於鄙夫、有傲心不得為君子。
傲骨無ければすなわち鄙夫に近く、傲心有れば君子たるを得ざればなり。
人を見下すような気構えが無いと下らぬ田舎おやじみたいだし、人を見下すような気持ちがあると立派なえらいひとにはなれないからだ。
そうです。
これはそれで一つの見識で、なかなか味わいのあるコトバですが、この張心斎の警句に付した、呉街南というひとの「評語」が気に入っているんです。
立君子之側、骨亦不可傲、当鄙夫之前、心亦不可不傲。
君子の側に立てば骨もまた傲るべからず、鄙夫の前に当たりては心もまた傲らざるべからず。
(そうは言っても)立派なえらい方のお側にいけば、人を見下す気構えなんかからっきし無くなるし、下らぬ田舎おやじの前に立ったら、人を見下す気持ちが起こらざるを得ないじゃないですか。
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「幽夢影」第181則です。三十年前に初めて読んだ「幽夢影」には「評語」がついてなかったので、なんでこの本がこんなに有名なんだろうと疑問でした。その後、チャイナで出ている「幽夢影」には必ず「評語」が付いているのを見て、原著者の張心斎は自分の名前の著書だから一応マジメに書いたのだが、「評語」を付けたやつらは無責任なので(もちろんマジメな人もいるのですが)好き放題のことを書いてて、それでオモシロいんだとわかるようになりましたんじゃ。