令和元年5月28日(火)  目次へ  前回に戻る

カッパしりこだま獲得ゲームを作ってみました!

そろそろ週末かな? おいら肝冷斎は、洞窟の奧へ奧へと進んで光の無い世界に入ってしまっているので、何日過ぎたかもわかりません。

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人有三不祥。

人に三つの不祥あり。

「不祥」は不吉なこと、そのことがあるといずれ悪いことが起こる、という兆しです。

人生には「これはいずれその人に悪いことが起こるぞ」と確信できる予兆が三種類あります。

幼而不肯事長。 幼にして長に事(つか)うるを肯ぜず。

賤而不肯事貴。 賤にして貴に事うるを肯ぜず。

不肖而不肯事賢。不肖にして賢に事うるを肯ぜず。

若いくせに年上のひとの指示を受けることをあえてしない。

地位が低いくせに地位の高いひとの指示を受けることをあえてしない。

おろかもののくせに賢者の指示を受けることをあえてしない。

これが「三不祥」。このうちの一つでもあるような人は、いずれに悪い状況に陥ってしまうんだそうです。

・・・という有難いお話を聞いても、

「はあ? 予兆でしょう? そんなの迷信かも知れないじゃないスか。必ず悪いことが起こる、と決まっているわけじゃないから、気にするのは非科学的っスね」

という合理的な人には、予兆ではなく必然的に困窮してしまう「三必窮」をお教えしましょう。

人有三必窮。

人に三つの必窮あり。

人生には「このひとはいずれ必ず困窮することになる」ことが確実な十分条件が三種類あります。

為上則不能愛下、為下則好非其上。是人之一必窮也。

上たりては下を愛するあたわず、下たりてはその上を非(そし)るを好む。これ、人の一必窮なり。

上司になると部下を大事にすることができない。部下になると自分の上司の悪口を言うのを好む。これだと、その人は必ず困窮します。

郷則不若、背則謾之。是人之二必窮也。

郷(むか)えば若(したが)わず、背けばこれを謾(あなど)る。これ、人の二必窮なり。

正面きって向かい合ってもぶつぶつ言って従わず、相手が向こうを向いているとバカにする。これもその人は必ず困窮します。

知行浅薄、曲直有以縣矣。然而仁人不能推、知士不能明。是人之三必窮也。

知行浅薄にして、曲直以て縣する有り。然して仁人を推すことあたわず、知士を明らむるあたわず。これ、人の三必窮なり。

「曲直」は道徳的な悪と善にも用いますが、ここでは能力的な「不能」と「能」を言っています。また、「縣」(略字が「県」)にはいろいろ意味がありますが、ここでは「隔たる」「かけ離れる」の意味です。

知識も行動もあさはかで、できない・できるについて他人とはかけ離れたものがある(他人には出来ても自分にはできないことがある)。それなのに、立派なひとを後押しすることもできず、知恵のあるひとを見出すこともできない。こういうのも、その人は必ず困窮します。

以上が三不祥と三必窮でした。

人有此三数行者、以爲上則危、為下則必滅。

人のこの三数の行有る者は、以て上たればすなわち危く、下たればすなわち必ず滅ぶ。

この(二つの三つ、すなわち六つのうち)いくつかの行為があるようなやつは、地位が高いところにいれば危険であり、地位が低いところにいれば必ず滅亡するのだ。

以下、「詩経」を引用してこのことを敷衍するのです。が、ゲンダイ人にはオモシロくないというか為にもならないと思うので省略します。

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「荀子」巻三「非相篇第五」より。地位が高いと危険なだけだが、地位が低いと必滅なのか。地位が高いと滅亡は免れるカモ・・・でも今や洞窟の奧の奧だからもうどうでもいいや。

 

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