寒冷地を代表する座敷ワラシ、コロポックルに手荒い出迎えを受けるアズキアライ。以心伝心である。
二日も会社に行ったので、そろそろ週末では・・・と思うのだが、まだのようである。
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唐の末ごろのことですが、ある僧が趙州従諗(ぢょうしゅう・じゅうしん)和尚に質問しました。
承聞、和尚親見南泉、是否。
承り聞くに、和尚、南泉に親見す。是や否や。
聞くところでは和尚さまは有名な南泉普願禅師にお会いになったことがあるそうですが、本当ですか、ウソですか。
南泉普願は趙州従諗の師匠なので、会っているのは当たり前なんですが、ここで僧がわざわざそんなことを訊ねているのは、
(その師匠から教わった悟りについて、何か言いなはれ)
と言いたいわけです。
これに対して、趙州和尚は答えた。
鎮州出大蘿葡頭。
鎮州には大蘿葡頭(らふとう)を出だす。
鎮州では、でっかいダイコンが出来るそうじゃ。
ちなみに鎮州は、今僧と趙州和尚が会話している趙州の地と同じ河北にある近接地です。
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「碧巌録」第三十則。もと「趙州録」より。これはすばらしい!と古来評されている回答ですよ。ああ、すばらしいなあ。
誰が何を言ったかなんかに捉われてはいかん、とも読めますし、でっかいダイコン(悟り)をわしは師匠からもらってきた、とも読めますし、聞いた僧(あるいは読者のみなさん)の方で考えねばならん。考えてもわからん。
ちなみに趙州従諗は前も書いたかも知れませんが、その伝によれば唐・代宗の大暦十三年(778)の生まれ、昭宗の乾寧四年(897)に化したことになりますので、120年生きていたということになります。上の会話についても、質問した僧からするとレジェンドの南泉普願とはかなり年が隔たっているので、
「和尚はほんとにそんなころから生きてはるんですか?」
というキモチも籠めて訊いているのだろうと思います。もしかして耳が遠いとかボケてしまっていて、とんちんかんな回答になった可能性は?