平成31年4月15日(月)  目次へ  前回に戻る

なんというおそろしい予兆であろうか。モグのようにこれほどやる気が無いドウブツが現れるとは。

今日はこれからの身の振り方について相談しに行ってました。うまく行くといいのですが。

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うまく行くときはいいんですが、うまく行かないときは不吉なことが起こるものです。

南朝の最後の王朝である陳の時代、呉の蒋山において

衆鳥鼓翼而鳴曰、奈何帝。

衆鳥翼を鼓して鳴きて曰く、「なかてい(帝をいかんせん)」と。

多数の鳥が翼を羽ばたいて鳴らし、それから鳴いた。その鳴き声は「皇帝はどうなるのかな?」と聞こえた。

これは何の前兆であろうかと云うに、漢以降流行した「京房易」の「飛侯」(飛ぶものの予兆)章に、

鳥鳴門闕如人音、邑且亡。

鳥の門闕に鳴くこと人音の如きは、邑まさに亡びんとすなり。

鳥が門の上で鳴いて、それがニンゲンのコトバのように聞こえるときは、その町がもう滅びようとしているのだ。

とある。蒋山は呉の入り口にあり、鳥がその上で鳴いたのだ。

呉邑空虚之象。

呉邑空虚の象なり。

呉の都市である都・建康が空っぽになる(皇帝が北朝に連行される)ことの予兆であったのだ。

なるほどなあ。予言が的中したのだなあ。

また、陳が滅亡する直前には、

有一足鳥集於殿庭、以觜画地成文。

一足の鳥の殿庭に集まりて、觜を以て地に画して文を成すこと有り。

一本足の鳥がどこからか宮殿の庭に集まってきて、くちばしを用いて地面に何やら書きはじめ、それがどうも文字に見えたということがあった。

よくよく見ると、

独足上高台、盛草変成灰。

独足高台に上り、盛草は変じて灰と成る。

一本足は高い台に昇るだろう、繁った草は灰に変わるだろう。

と読めた。

「一本足」というのは最後の皇帝(陳の後主)である陳叔宝が、

独行、衆無之応也。

独行して衆のこれに応じる無し。

孤立して行動してしまい、臣下たちの中に誰も彼に対応するものがいなかった。

ことを指しているのである。また、「草が灰に変わる」というのは、

陳政蕪穢、被隋火徳所焚除也。

陳政は蕪穢にして、隋の火徳の焚除するところとせらる。

陳の政治が草ぼうぼうで乱れ汚れ、火の徳を持つ隋に焼かれて滅亡してしまったことを言っていたのだ。

さらに、陳叔宝は長安に連行された後、

館於都水台上、高台之意也。

都水台上に館す、高台の意なり。

都水台という展望台のある土地に幽閉されてしまった。これが「高台に上る」の意味であったのだ。

なんと、すべて的中したのだ。

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唐・陸勲集「集異志」巻二より。鳥をはじめドウブツたちの行動は先を見越しているのです。本当の知恵で本能的に気づくのでしょう。ドウブツたちの動きに気をつけないとなりませんぞ。

 

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