サクラが咲いてきたが、どうやらほぼネコの町のようである。
サクラがどんどん咲いてきたなあ。
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サクラが咲いても、わたしどもには財産も才能も無いのでございます。
貧嗟積著無能、故児女或悲或怨。
貧にして積著(せきちゃく)を嗟(なげ)くも能無し、故に児女あるいは悲しみあるいは怨む。
貧乏で、財産を積みあげたいものだと嘆くのだが、そんなことする能力は無い。それで、女房子どもは悲しんだり、おれを怨んだりする。
老工詩賦無益、故篇章不雅不風。
老いて詩賦に工(たく)みなるも益無し、故に篇章雅ならず風(ふう)ならず。
年老いてしまって、いまさら詩や韻文が巧い、と言われても出世の役にも立たない。それで、おれの詩文には風雅のおもむきがないんだ。
「風」と「雅」は「風雅」と熟して、「鄙俗」(いなかっぽい)の対語として「みやびやか」という意味になるんですが、もとは「詩経」の「国風」(各国の民俗歌)と「大雅・小雅」(周王家の先祖祭りや儀礼の際に歌われる歌)のことで、古代において、人民の苦しみや為政者のあるべき姿を指摘したり、あるいは人々の心を和ませ調えるための唱歌でありましたから、単なる「みやびやか」「都会風」というだけでなく、知識人が社会に貢献する方法の一つ、という意義がこめられています。「おれ」の詩文がそんなふうな立派なものでないのは、いまさら人に評価されてもしようがないからなんですよ、と言い訳しているわけですね。
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「酔古堂剣掃」巻八より。おいらも財産も才能もありませんが、家族とも知識人社会とも関係なく洞穴にいるので、悲しまれたり怨まれたりすることが無いから楽ちんだなあ。