ムシも出てくる季節である。
啓蟄なので、洞穴の中から出るやつもいます。今日は雨でしたが、早速でかいガマガエルがのそのそ歩いていました。おいらもちょっとだけ表に出てみようかな。
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唐の時代のこと、ある僧が巌頭全奯(がんとう・ぜんかつ)禅師に質問しました。
古帆未掛時如何。
古帆いまだ掛けざるの時、如何ぞ。
「古い帆を掛けるその前は、どんな状態だったんでしょう?」
古い帆さえまだ掛けられていない時期、というのは要するに何ものもまだ始まっていない、分別以前の世界とはどういうものなのか、と質問したのであります。
「うるさい!」
と言って棒で打ち据えるような禅師もおられますが、さすがに巌頭和尚は
有殺人刀、亦有活人剣。
殺人刀有り、また活人剣有り。
ひとを殺すキビシイ刀を持っていたが、ひとを生き返らせる優しい剣も持っていた。
と評される方ですので、
小魚呑大魚。
小魚、大魚を呑む。
「小さい魚が大きな魚を呑み込んでいたんじゃ」
と教え諭してくれました。よかったねー。
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「五灯会元」巻七より。なんじゃそりゃ。
要会這則因縁、聴取永平一頌。
この則の因縁を会(え)せんと要すれば、永平の一頌を聴取せよ。
この会話の意味を理解しようとするなら、このわし、永平道元禅師のうたに耳を傾けよ。
道元さまがうたいて曰く、
小魚呑大魚、 小魚は大魚を呑み、
和尚読儒書。 和尚は儒書を読む。
透出仏魔網、 仏・魔の網を透出し、
法塵也掃除。 法塵もまた掃除せよ。
小さい魚が大きな魚を呑み込んで、(大とか小とかの区別は本来無いのだ)
和尚が儒学の本を読む。(仏法と儒学といった対立も本来無いのだ)
仏さまの網からも悪魔の網からも脱け出して、(どちらかに捉われてはならない)
仏法の方からつけられた塵も払い落とせ。(仏法からも離れてみよ)
なんだそうです。
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「道元禅師語録」より。ちょっと穴から脱け出して今日はオモシロい飲み会に行ってきました。しかしまた洞穴に戻ってきた。啓蟄でもかたくなに穴から出ないんだよー。