春先になると、冬眠から覚めたやつも食事を求め始めるのだ。
もうそろそろ春先です。わーい、春先になるとなんだかワクワクしてきますね。
・・・・・・・・・・・・・・
春先になると調子がよくなってきて、
胸中自是奇、乗風破浪、平呑万頃蒼茫。
胸中おのずからこれ奇なれば、風に乗じ浪を破り、万頃の蒼茫を平呑せん。
胸の中におのずとあり得ないような気分が湧いてきて、風の乗っかり波浪を突き抜けて、一万頃のあるような広々とした青海原を平気で飲み干してしまおう。
ではないか、というようなでかい気分になってまいります。一頃(いちけい)は明清期はだいたい6ヘクタールぐらい。
わははは。
脚底由来闊、歴険窮幽、飛度千尋香靄。
脚底由来闊(ひろ)ければ、険を歴(へ)て幽を窮め、千尋の香靄(こうあい)を飛度せん。
足もとに従来から余裕があ(ってしっかり移動でき)るので、険しいところを通り奥まったところも窮め尽くし、一千尋もあるような高いところの香しい霞や靄の間も、飛び越えていこう。
みたいなキモチになってきてにやにやしてしまい、まわりから変な目で見られることになります。一尋は両手を広げた長さです。春秋時代は一尺=20センチぐらいだったので、八尺が一尋だったんですが、明清期には一尺=31センチぐらいなので、一尋は2.5mぐらいになります。
松風澗雨九霄外、数声環佩清我吟魂。
松風澗雨は九霄の外にありて、数声の環佩、我が吟魂を清うす。
松を吹く風や渓谷の雨が、九重の天の上を行く(ような)ときに、美女の腰のまわりに下げた玉製の環が数回鳴れば、おれの詩心も澄み切っていくぜ。
わはははは。
海市蜃楼万水中、一幅画図供吾酔眼。
海市蜃楼は万水の中にありて、一幅の画図、吾が酔眼に供わる。
海上の幻の町や蜃気楼が、広い海原に見えるときは、一幅の絵がおれの酔った目の前に展開されているようだぜ。
うはははは。
やっぱり酔っ払っていたんですね。
・・・しかし、やがて酔いから醒め、初夏の山中の洞穴の棲み処に帰ってくることになるでしょう。
毎従白門帰、見江山逶迤、草木蒼欝。
つねに白門より帰り、江山の逶迤(いい)とし、草木の蒼欝たるを見る。
町なかから帰ってくるたびに、川がくねくねと曲がりくねり、山に草木の鬱蒼と茂っているのを見る。
「白門」は金陵(今の南京)の異称。
人常言佳、我覚別離人腸中一段酸楚気耳。
人は常に佳ならんと言うも、我は別離人の腸中の一段の酸楚の気を覚ゆるのみ。
みなさんはいつも「それはすばらしい景色だろう」と言ってくださるのだが、わたしは人と別れてきた人間の胸の中に、何とも言えない切ない思いがあるのに気づくばかりだ(。だって、あの人と別れてきたのだから)。
というように現実に戻って寂しくなってくるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・
「酔古堂剣掃」巻十より。いくつかの句を引っ付けてみました。夢ならず恋破るるは我ら詩人の通弊、しかし春先だけでも楽しければいいや。