夏場はいいが冬場にやる気無しとなると、雪が降ってきても行動せず、永久的に冬眠してしまうことがあるので危険である。
今日も寒かった。こんなに寒くてはもう会社に出勤できないだけでなく、生物活動もめんどくさい。明日からはもう、当HPの更新も困難かも。
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やる気なしである。
さて、東晋建国の立役者である丞相・王導(267〜330)が
夏月、到石頭、看庾公。
夏月、石頭に到りて庾公を看る。
「石頭」は「いしあたま」ではなく、東晋の都・建康の西にある要衝・石頭城のことです。
ある夏の日、石頭城に行って、庾公に会った。
「庾公」と言われているのは庾亮、字は元規か、その弟の庾冰、字は季堅のこと。いずれも河南のひとで、外戚として東晋の政界に重きをなした。とりあえず、兄の庾亮だとして話を進めます。
庾公、正料事。
庾公、まさしく事を料る。
庾亮はちょうど事務を取りさばいているところであった。
王導はその事務室まで入って行って、言った。
暑、可小簡之。
暑きなり、小(すこ)しくこれを簡にすべし。
「暑い季節だぞ。もう少し手を抜いてやれんのかね」
庾亮は振り向きもせずに文書を見ながら言った、
公之遺事、天下亦未以爲允。
公の事を遺(わす)るること、天下またいまだ以て允(よ)しと為さず。
「あなたは事務をいい加減にやるので有名ですが、世の中のひとたちがみんながみんな、それでいい、と思っているわけではないんですからね」
「允」(いん)は「まことに」とも訓みますが、動詞として訓じるときは、「允可」の「允」で、「みとめる」「(それでよいと)ゆるす」の意。
「そうなのか」
庾亮の方が二十歳ぐらい年下なのですが、王導は納得して頷いたそうである。
それから都に帰ってくると、
略不復省事、正封簶諾之。
ほぼまた事を省みず、まさに封簶してこれを諾す。
たいていの事務はやらなくなってしまい、文書が回ってきても、封印されたままで承諾してしまうようになった。
そして、自らため息をついて言うに、
人言我憒憒。後人当思此憒憒。
人は言う、我は憒憒(かいかい)たり、と。後人まさにこの憒憒たるを思うべし。
「憒」(かい)は心が乱れ、正当な判断ができない様子。「もうろく」などとも訳します。
「ひとびとはわしのことを「やる気がない」と言って批判しているが、後の世のひとはまさにこの「やる気のなさ」をこそ、評価することじゃろう」
と。
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「世説新語」政事第二より。いやほんとそうですよ、世間のひとはみんな、「おまえら肝冷斎一族はやる気ないからダメだダメだダメだ」とばかり言うが、いつの日かそこにこそ我らの深い思慮があったことに気づくであろう。・・・いや、深い思慮は無いです。
さて、いろいろ機械的な問題があって、どうやら今年はこの深い洞察に満ちたお話が最後の更新になりそうです。今年もいろいろありがとうございました。またお会いすることができるかどうか・・・。