平成30年12月18日(火)  目次へ  前回に戻る

のさばっている悪いやつをがつんとやっつけてくれるひとがいるといいのだが。

本日は少し暖かかった。公園で鳥が鳴いたりしていたので、もう春が来るのかも知れません。

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三国・呉の賀邵、字・興伯は浙江・会稽のひと、剛直で名の通った人物であったが、その性格を見込まれて、呉郡の太守に任ぜられた。当時、呉郡には建国以来の名族が多く、なかなか治めづらいとされていたのである。

赴任した賀邵は、

初不出門。

初め門を出でず。

官舎に引っ込んだままで、門から出て来なかった。

諸豪族の行動を探っていたのである。

しかし、

呉中諸強族軽之、乃題府門、云、会稽雞不能啼。

呉中の諸強族これを軽んじ、すなわち府門に題して云う、「会稽の雞、啼くあたわず」と。

呉郡の豪族の一族たち(陸氏・顧氏らである)はその態度をなめきり、官舎の門に「会稽出身のニワトリは、鳴くことができないようじゃ」と落書きしたのであった。

「太守さま、落書きがありますぞ」

と聞いた賀邵は「ふん」と鼻を鳴らすと、

出行、至門反顧、索筆足之。

出行し、門に至りて反顧して、筆を索してこれに足す。

はじめて外出し、門を出たところで振り向いて、(上記の落書きを確認すると、)筆を求めてこれに書き足した。

不可啼。殺呉児。

啼くべからず。呉児を殺せば。

鳴くわけにいかないなあ。(鳴くと)呉郡のガキどもを殺してしまうだろうからなあ。

そして、

「そろそろいろいろわかってきたところだったからな」

とうそぶくと、それ以降、あちこちの駐屯地や役場に自ら赴いて、

検校諸顧陸役使官兵、及蔵逋亡、悉以事言上。罪者甚衆。

諸顧・陸の官兵を役使し、及び逋亡を蔵するを検校し、悉く事を以て言上す。罪さる者甚だ衆(おお)し。

顧氏や陸氏の一族が、役人や兵士を私用に使い、また逃亡者をかくまって(自分たちの荘園の労働力として)いることを細かに調べ上げ、事実関係を明確にして都の皇帝に報告した。これによって、たいへん多くの者が罪に問われることとなった。

陸氏の惣領で、朝廷の実力者である陸抗も困ってしまい、当時、長江を遡った江陵の太守として蜀漢との最前線にあったのだが、

下請孫晧。

下りて孫晧に請う。

長江を下ってきて、皇帝(呉の末帝・孫晧、在位264〜280)に直接恩赦を請うた。

然後得釈。

然る後、釈を得たり。

そうしてやっと許されたのである。

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「世説新語」政事第三より。鳥が鳴くとガキどもにたいへんなことが起こるかも知れません。なお、この賀邵は後に太子太傅の地位に昇りますが、讒言を受けて誅殺されております。やっぱり敵を作るとマズイみたいです。鳴かない鳥ば撃たれないのだ。

 

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