何か食い物を見つけたのか、争うように走るモグとひよこたちである。しかしモグは生存競争をしないので、このあと脱落する。
お土産のお菓子はうまいが、ひとと競争してまで取りに行くのは腹が減っているときだけである。
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西晋の王戎、といえば呉を攻略するに大功のあった名将です。後に司徒(宰相)にまで登りつめた貴族政治家であり、また竹林の七賢のひとりとして飲酒を愛したひととしても有名でありますが、
王戎七歳、嘗与諸小児遊、看道辺李樹、多子折枝。
王戎七歳、かつて諸小児と遊び、道辺の李樹を看るに、子多くして枝を折らんとす。
この王戎が七歳のとき、ほかのコドモらと遊んでいたところ、道ばたにスモモの木があって、枝も折れようかというぐらいたくさん実がついていた。
王戎が数え年七歳というと正始二年(241)になるはずで、魏の文帝(曹丕)が亡くなり曹芳が後を継いで、これからだんだん司馬氏に乗っ取られて行こうとしているころですが、コドモですからそんな大人の世界のことには関係なく遊んでいたのであろう。コドモはいいなあ。
「うわーい、スモモだ」「取って食べまちゅよ」「わーいわーい」
と、
諸児競争取之、唯戎不動。
諸児、競争してこれを取るも、ただ戎は動かず。
ほかのコドモらは争ってスモモの実を取ったが、王戎だけは動こうともしなかった。
それを見ていた大人が奇異に思い、
「おまえさんはどうして取りに行こうとしないのかね?」
と訊いてみると、王戎は答えて曰く、
樹、在道辺而多子、此必苦李。
樹、道辺に在りて子多し、これ必ず苦李ならん。
「うっしっし。木が道ばたに生えているのに実が多く残っているんでちゅからね、苦〜いスモモに決まっていまちゅよ」
と。
取之信然。
これを取るにまことに然り。
取ってみたところ、たしかにそのとおりであった。
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「世説新語」雅量第六より。これはどう考えても負け惜しみでしょう。ほんとは太っていたので動きが鈍かった、とか腹がいっぱいで取りに行く気にならなかった、のではなかろうか。王戎は檻の中にいるトラが吠えたとき、まわりのひとはあとじさったのに、王戎だけは平然としていた、という逸話もあるので、基本的に動きが鈍かったと推測されるのです。しかし、後々成功したひとは動きが鈍いのも「雅量があったのだ」と褒めてもらえるので、みなさん努力しましょう。