夏の間にニンゲンの「しりこだま」を相当貯め込んだカッパは、秋になるともうシゴトが無いので、こたつでみかんを食いながら暢びやかに暮らしているものである。
今日はお休みでした。肝涼斎の縮こまった心も少し暢びやかになった。
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みなさんも暢びやかになれそうなお話をいたします。
孔子が六十九歳の時のことなんだそうですが、弟子たちとともに杏の丘で琴を弾いていると、
有漁父者、下船而来。須眉交白、被髪揄袂。
漁父なる者有りて、船を下りて来たる。須眉白きを交え、被髪にして揄袂(ゆべつ)なり。
漁父(ぎょほ)と呼ばれる漁師のおやじが、どうやらその音を聞きつけたらしく、舟をこちらの方に寄せてきて、岸辺に降り立った。その姿は、ひげも眉も半ば白くなっており、髪は冠もかぶらずにざんばら髪、たもとのほとんどない筒袖の服を着ていた。
古代、袖の袂(たもと)が広いのが知識人や権力者の服装で、筒袖の服は労働者人民の服ということになっておりました。
漁父は
行原以上、距陸而止。左手據膝、右手持頤以聴。
原を行きて以て上り、陸に距(あが)りて止まる。左手は膝に據(よ)り、右手は頤を持して以て聴けり。
野原を通ってこちらの方に上がってきて、丘の上まで来て立ち止まった。そして、左手を膝のあたりに置き、右手で自分のあごに触れながら、じっと琴の音を聞いていた。
やがて、曲が終わると、漁父は孔子の弟子たちに声をかけたのでございます。(中略)孔子はその姿を見ると「賢者なり」と琴を止め、弟子たちとともに漁父に一礼して教えを請うた。(いろいろ真理についての教えがあるが、中略)
漁父が言った。
人有畏影、悪迹而去之走者。挙足愈数、而迹愈多。走愈疾而影不離身。自以爲尚遅、疾走不休、絶力而死。
人の、影を畏れ、迹を悪みてこれを去りて走る者有り。足を挙ぐることいよいよ数(しばしば)すれば、迹はいよいよ多し。走ることいよいよ疾けれども影は身を離れず。自ら以て尚遅しと為し、疾走して休(や)まず、絶力して死せり。
あるところに、影が恐くてたまらず、また足跡がイヤでしようがないというひとがおった。
ある日、とうとうたまりかねて、影と足跡から逃れるために走り出した。ところが、足を挙げる回数が増えれば増えるほど、足跡はさらに増えて来る。
「うわあ、どんどんついてくるぞ」
とさらに速く走ってみたが、影も体から離れることがない。
「も、もっと速く走らなければ」
と走り続けて止まらずに―――ついに力尽きて死んでしまった。
不知、処陰以休影、処静以息迹。
陰に処りて以て影を休ませ、静に処りて以て迹を息(や)まするを知らざるなり。
物陰にいけば影は見えなくなってしまうし、じっとしていれば足跡はできない、ということを知らなかったんじゃなあ。
愚亦甚矣。
愚、また甚だしきかな。
すごいオロカ者というべきであろう。
それから、孔子の方をぎろぎろと見まして、曰く、
子審仁義之間、察同異之際、観動静之変、適受与之度、理好悪之情。而幾於不免矣。
子は仁義の間を審らかにし、同異の際を察し、動静の変を観、受与の度を適わせ、好悪の情を理す。しかるに免れざるに幾(ちか)いかな。
あんたは、仁と義の関係を議論し、考え方の同じと異なるの境目を察し、動く動かないの変化を観察し、俸禄を受けたり与えたりする度合いを量り、好む悪むの感情を調えておられるようじゃが、・・・どうもこの影と足跡を恐れた者と同じ愚かさから免れてはいないようじゃなあ。
(いろいろ真理に至るとどうなるか、また説教があるが中略)
・・・そして、最後に漁父は言った。
子勉之、吾去子矣、吾去子矣。
子これを勉めよ、吾は子を去らん、吾は子を去らん。
あんたはこれからまだまだ努力するがいいぞ。それではこれでさようなら、それではこれでさようなら。
わはははははは――――
乃刺船而去、延縁葦間。
すなわち、船を刺(はな)して去り、葦の間に延縁せり。
そうして、棹をついて舟を岸辺から離し、葦の茂みの外側を回って去って行った。
以下、孔子と弟子たちの会話がありますが、下略。
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「荘子」漁父篇より。みなさんも影や足跡を恐れるのはいい加減にした方がいいですよ。わははははは――――