何年経っても変わらない(ように見える)ノーマルぶたとノーマルもぐ。内面での葛藤はあるようだが、進歩は無い。
デク(木偶)からの連絡では、本日は雨が降って東京はたいへん涼しくなったとのこと。「ああ、そうですか。まあでもボクは戻らないので、会社はキミが行っておくんだぞ!」とデクには強い調子で伝えておいた。
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山の中をふらふら散策していましたら、ずいぶん昔に廃されたらしい集落の跡があった。井戸とカマドの跡だけが明らかに遺り、家家の壁や垣根は朽ちて、そこには既に新たな草や木が芽生えていたのである。
そこへ薪を刈りに来たらしい老人が通りかかったので、訊ねてみました。
借問採薪者、 借問す、採薪の者、
此人皆焉如。 この人、みないずくにか如(ゆ)く。
ちょっとお伺いしますよ、薪木とりのお方、
ここの住んでいたひとたちは、みなさん何処に行ってしまったんでしょうかなあ。
すると、
薪者向我言、 薪者我に向かいて言う、
死没無復余。 死没してまた余す無し、と。
薪木とりのやつはわしに向かって言った、
死んでしまいましたんじゃ、ひとりも遺さずになあ。
なんと。
一世異朝市、 一世すれば朝市を異にす、
此語真不虚。 この語まことに虚ならざりき。
「一世」は一世代、三十年をいう。
「三十年すると、役所と市場の場所は入れ替わる」(ぐらい社会変動がある)
というコトバは、ほんとうにウソではなかったのだなあ。
平成の初めごろを思い出してみてください。確かにいろんなことが変わったような気がする。
人生似幻化、 人生は幻化に似て、
終当帰空無。 ついにはまさに空無に帰すべし。
ひとの生というのは、まぼろしのようなもの、
最後は必ず空虚な無に帰るものなのじゃなあ。
山の中に住んでいると勉強になることが多いなあ。
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詩は、六朝・陶淵明「帰田園居」(田園の居に帰る)其四です。社会はどんどん変わってきました。これからもどんどん変わっていきますよ。早くみなさんも、変わりゆく世の中をこの山中から眺めに来るといいのに、と思います。