平成30年8月7日(火)  目次へ  前回に戻る

何年経っても変わらない(ように見える)ノーマルぶたとノーマルもぐ。内面での葛藤はあるようだが、進歩は無い。

デク(木偶)からの連絡では、本日は雨が降って東京はたいへん涼しくなったとのこと。「ああ、そうですか。まあでもボクは戻らないので、会社はキミが行っておくんだぞ!」とデクには強い調子で伝えておいた。

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山の中をふらふら散策していましたら、ずいぶん昔に廃されたらしい集落の跡があった。井戸とカマドの跡だけが明らかに遺り、家家の壁や垣根は朽ちて、そこには既に新たな草や木が芽生えていたのである。

そこへ薪を刈りに来たらしい老人が通りかかったので、訊ねてみました。

借問採薪者、 借問す、採薪の者、

此人皆焉如。 この人、みないずくにか如(ゆ)く。

 ちょっとお伺いしますよ、薪木とりのお方、

 ここの住んでいたひとたちは、みなさん何処に行ってしまったんでしょうかなあ。

すると、

薪者向我言、 薪者我に向かいて言う、

死没無復余。 死没してまた余す無し、と。

 薪木とりのやつはわしに向かって言った、

 死んでしまいましたんじゃ、ひとりも遺さずになあ。

なんと。

一世異朝市、 一世すれば朝市を異にす、

此語真不虚。 この語まことに虚ならざりき。

「一世」は一世代、三十年をいう。

 「三十年すると、役所と市場の場所は入れ替わる」(ぐらい社会変動がある)

 というコトバは、ほんとうにウソではなかったのだなあ。

平成の初めごろを思い出してみてください。確かにいろんなことが変わったような気がする。 

人生似幻化、 人生は幻化に似て、

終当帰空無。 ついにはまさに空無に帰すべし。

 ひとの生というのは、まぼろしのようなもの、

 最後は必ず空虚な無に帰るものなのじゃなあ。

山の中に住んでいると勉強になることが多いなあ。

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詩は、六朝・陶淵明「帰田園居」(田園の居に帰る)其四です。社会はどんどん変わってきました。これからもどんどん変わっていきますよ。早くみなさんも、変わりゆく世の中をこの山中から眺めに来るといいのに、と思います。

 

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