平成30年6月14日(木)  目次へ  前回に戻る

ひよこに目をつけられるヘイケがに。一部のひよこが影響を受け始めている。ヘイケがににこだわらずに、いろんな意見を集めてもらいたいものである。

今日ぐらいそろそろ金曜日かな、と思ってたんですが、なんとまだ木曜日でした。もう一日あったか。・・・このように、自分の判断力だけに頼っていると間違ってしまうことがよくあります。

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斉人有謂斉王、曰河伯大神也。王何不試与之遇乎。

斉人の斉王に謂うこと有り、曰く、「河伯は大神なり。王、何ぞ試みにこれと遇わざるや」と。

斉の国のある人が、斉の王さまに申し上げた。

「黄河の神である河伯はたいへんな力のある神です。王さまはどうしてその神とコンタクトしようとされないのですか」

そんなことができるのであろうか。

臣請使王遇之。

臣請う、王をしてこれに遇わしめん。

「どうかこのわたくしめに、王さまがその神にコンタクトする機会を作らせてください」

それではお願いします。

その人の指示で、

爲壇場大水之上。而与王立之焉。

壇場を大水の上に爲(つく)る。而して王とこれに立てり。

大河を見下ろせるところに展望台を作った。そして、そのひとと王はそこに並んで立った。

川が流れているのを二人で見つめていました。

有間、大魚動。

間有て、大魚動く。

しばらくすると、波間にちらりと大きな魚が動くのが見えた。

因曰、此河伯。

因りて曰く、「此れ河伯なり」と。

するとそのひとは言った、「ごらんください、河伯です!」と。

なんと、河伯と第二種コンタクトができました。すばらしい! 

――――と感動してはいけませんぞ。

これこそ、

観聴不参、則誠不聞。聴有門戸、則臣壅塞。

観聴参せずんば、すなわち誠に聞こえず。聴くに門戸有れば、すなわち臣壅塞す。

観たり聴いたりすることに他のひとの意見を参考にしなければ、本当に聞こえているとはいえない。

意見を聞く際に扉が一つしかない(一定のグループからしか聞かない)ようなら、そこを下の者が塞いでしまう。

といわれることのよい例でございます。他のひとから意見を聞けば、「はあ? あれはただの魚でっせ」など、まともな結論に達することができたでしょう。これゆえに明主(賢い主君)は「参観」(いろんな意見を聞く)という術を用いるべきなのでございます。

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「韓非子」巻九・内儲説上より。この書によれば、明主の用いるべき手法は「七つの術」なのだそうです。その第一が「参観」なのでございますのじゃ。

それがしの話はお役に立つでございましょう。ぐふぐふぐふ。しかし明日はニンゲンドックに行くため早く寝ないといけないので、「第二」以降はまたの機会にさせていただきます。ぐふぐふぐふ・・・。

 

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