今日は歓送迎会でアルコール入ってとにかく眠い。キモチはいいけど。
平日です。まだあと四日もこの状況が続くのか。涙出る。ただし今日の中華美味かった。
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戦国の時代、周の相・呂倉が説客の某を周の君に面会させた。
それを伝え聞いた前の相・工師籍(こうし・せき)は、
令人謂周君、曰客者弁士也。然而所以不可者好毀人。
人をして周君に謂いて曰く、客者は弁士なり。然して不可なる所以のものは人を毀つを好むなり。
周の君の側近に依頼して、君に申し上げさせた。
「今回の説客は実に説得力がありますな。ただし、どうもよろしくないところは、ひとの悪口を言うのがお好きなことです」
と。
けだし、
恐客之傷己也。
客の己を傷むるを恐るるなり。
説客が自分の批判をするのを恐れたのである。
そこで、自分の批判があっても真実ではないと聞こえるように、下工作をしたというわけである。
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「戦国策」巻二「東周篇」より。ここに出てくる「周君」は「周王」ではなく、戦国時代前三世紀半ばごろに、最後の周王であった赧王(在位前314〜前256)からも独立していた「東周」と呼ばれる小さな領邦の支配者昭文君・姫傑というひとです。そんな小さな国でも、こんなこと心配している人材は数多くいたようなんです。