平成30年2月28日(水)  目次へ  前回に戻る

「ぽこん」春になると変なのが出てくる。

「まあ土だんごでも食うでモグ」と勧められるが、さすがのウサギにも食えない。

心は無感情に閉ざされたままだが、空はなんとなく春っぽくなってきましたよ。

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北宋初期の太平興国七年(982)、四川の辺境、嘉州に赴任した王袤というひとが、峨眉山麓の白水寺に赴いたときのこと。

忽見光相。

忽ち光相を見たり。

突然、光の不思議なすがたを見た。

寺西南瓦屋上山皆金色、有丈六全身。

寺の西南瓦屋の上、山みな金色にして丈六の全身あり。

寺の西南側の瓦屋根の向こう側の山々がすべて金色に輝き、そこにはっきりと釈迦如来の全身のお姿が現れたのだ。

釈迦如来の身長が一丈六尺(約4.85m)だった、ということから、お釈迦様のことを「丈六」とお呼びすることがあります。

「うわーい、ありがたや」

と一寺のひと拝み崇め、王袤も一緒に礼拝した。

翌日、すがすがしいキモチで起床して顔を洗っていると、寺僧があわててやってきて、

「お役人さま、はやく、はやく」

と急がせる。

なんだろうかと後をついて外に出ると、僧が空の彼方を指さすので、そこを見るに、

山間有羅漢二尊、空中行坐、入紫色雲中。

山間に羅漢二尊の空中に行坐する有りて、紫色雲中に入れり。

山と山の間に、羅漢さまがお二人、空中におられたのだ。羅漢さまたちは空中をお歩きになったり座られたりしていたが、やがて紫色の雲の中に入って行かれた。

「羅漢」は梵語アラハットの音訳で、意訳が「応供」(おうぐ)、すなわち「供養を受けるべきひと」。出家修行して相当の段階に進み、尊敬と布施を受けるべきレベルになったひとをいい、おシャカさまも「応供」の一人です。

王袤はほかの僧侶たちとともに深い慶びを以て合掌礼拝し、たいへん幸福なキモチで山を下ったのであった。

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宋・文瑩「玉壺清話」より(「事実類苑」巻四十五所収)。いい話だなー。春の、かつ週末になったらこんなの見られるカモ。もう少しだ・・・が、耐えきれないか・・・。

 

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