月曜日のツラさが邪悪な心を生み出してしまうのである。ガマガエル忍者はカエル忍者よりもさらに邪悪で、毒を塗った手裏剣を使うのだ。
またツラいこと増える。前向きに生きるのは難しいので、今週も下、ないしは後ろ向きしかないようである。
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我が国でのことですが、
久米仙者、和泉上郡人也。嘗入深山、学仙術、食必松子、衣必薜茘。
久米仙なる者は和泉の上郡のひとなり。嘗て深山に入り、仙術を学びて、食は必ず松子、衣は必ず薜茘(へいれい)なり。
久米仙人といわれるひとは、和泉国上郡(※)のひとであった。深い山中に入って仙術の修行をし、食べるものは松ぼっくり、着るものはカズラの葉を綴り合せたものばかりであった。
(※)「和名類聚抄」を閲すれども和泉国には大嶋・和泉・日根の三郡しかなく、「上郡」が見当たりません。和泉郡に「上泉」郷があるのでこれのことか、と思うが如何か。なお、久米仙人の出身地については「今昔物語集」には記述がない。
こうして仙術を身に着けました。
久米仙人は仙人なのでコドモのような心である、と仮定します。
「わーい、おいらは空も飛べるのでちゅよー」
と飛び上がり、
一日乗空、去飛過故里、会見村婦沿水浣衣、其脛甚白、殆如凝脂。
一日、空に乗じて去り飛びて故里を過ぎ、たまたま村婦の水に沿いて衣を浣うを見るに、その脛はなはだ白く、ほとんど凝脂の如きなり。
ある日、空を飛んであちこちしているうちに、以前知ったところ(※※)を通り過ぎた。ちょうどそのとき、村の女が川べりで洗濯をしていたのだが、その(女が濡れないように衣の裾をたくしあげたので、ちらりと見えた)脛が白く、まるで凝り固まった牛の脂のようであった。
※※これは「今昔物語」では吉野川である、とされている。元地元民の方からは「久米寺との位置関係などからみて吉野川ではなく飛鳥川あたりではないか」との疑問が呈されたことを付記しておく。
「へへへ、いろっぽいおんなでちゅねー」
とコドモながらも久米仙人は、
忽生染心、終失術、復堕落人間云。
忽ち染心を生じて、ついに術を失い、また人間(じんかん)に堕落せりと云えり。
エッチな心を起こしてしまったので、仙術の力を無くしてしまい、
「うわーい、助けてくだちゃーい」
ぼちゃん!
と、人間世界に落ちて来てしまったのである、と伝わる。
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「皇朝蒙求」巻下より「久米失仙」。このお話は「今昔物語集」巻十一などに出、久米寺の縁起として有名ですが、天平年間の事件ということになっておる。
自分だけ仙人になろうとしやがった久米仙人が堕落しておれたちと同じ世俗に落ちてきたのだ。後ろ向きなおれたちとしては足を引っ張れてうれしいぜ・・・というキモチにされてしまうお話ですね。
「今昔物語集」によれば、もともと久米仙人は「あづみ」という者と二人で修行していて、このあづみの方が先に仙人になったそうなんです。「組」に語源があり、武力を掌った「久米」氏と「海住み」(あまずみ)に語源を持つ海人族の「あづみ」氏の古い争いが背景にあるのかも知れません。
ところで、「皇朝蒙求」は本家の「蒙求」同様に四文字題が二つでセットになっています。この「久米失仙」とセットになっているお話が、「隠者惜別」で、
隠者某、世累既尽。
隠者某は世累既に尽く。
隠者のなにがしは、世間との付き合いをすべて無くし、ひとり静かに暮らしておった。
その彼が、あるとき、月を眺めて言った。
吾死去於世、都無所恋恋。但与天上辞可惜一別耳。
吾死して世を去るに、すべて恋々たるのところ無し。ただ、天上と辞するは一別を惜しむべきのみ。
「わしは死んでこの世から去って行っても、もうなんにも未練はないのじゃ・・・。しかし、このすばらしい月を見られる無くなるのだけは寂しいことである」
と。
これだけのお話なのですが、あんまり簡単すぎて出典が分かりません。いずれにしろ後ろ向きなひとであったろうと思われるのだが。