どんな事件も難事件に変えてしまうぶた同心と岡っ引きのもぐ八。銭は投げるのではなく拾ったのである。これで納豆たまごかけごはんを食べたいところだ。
腹減斎です。現世はツラいことばかりなので、ついつい好きなものばかり食べてしまいます。しかし、あまり偏食してはいけません。
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三国志で有名な魏武侯・曹操さまが、蛮族・烏丸を制圧するため北征したときのこと。
ある高台に昇りますと、まわりがよく見渡せた。見渡す限りステップの草原ですが、その中に
見一崗不生百草。
一崗の百草を生ぜざるを見る。
一か所だけ、あらゆる草の生えていない丘があった。
侯と側近たちが
「不思議だなあ」
と言いあっていますと、
是古冢。
是れ古冢なり。
「ああ、あれは昔の古墳ですな」
と断言した男がある。建安七子にも数えられる才子・王粲であった。
「何故わかるのじゃ?」
此人在世服礬石死。而石生熱、蒸出外。故卉木燋滅。
この人、世に在りて礬石(ばんせき)を服して死せり。而して石熱を生じ、蒸して外に出づ。故に卉木(そうもく)燋滅せり。
「埋葬されている人が、生前にミョウバンを薬だとして服用しまくっていたんです。死後、このミョウバンが熱を生じて、その熱が水蒸気を伴って外部まで出てきた。そのために、草も木も熱で焼けてしまっているのです」
「ほんとかなあ」
即令鑿看、果得大墓、有礬石満塋。
即ち鑿たしめて看るに、果たして大墓を得、礬石の塋に満つる有り。
そこで掘らせてみたところ、確かに巨大な墓が出てきた。そして、墓穴は、屍の体内からにじみ出てきたミョウバンでいっぱいになっていたのである。
「ほんとうだったのだ」
王粲の博識なること、みなこの類であった。
ところが、実は曹操が烏丸を討伐したときは、
粲猶在荊南。此言為譎。
粲なお荊南に在り。この言、譎(いつわり)と為す。
王粲はまだ曹操に仕える前で、荊州にいたころだから、この話はウソである。
実際は荊州太守の劉表とともに湖州の彰山に登ったときのことである、という説もあるのである。
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「異苑」より。ミョウバンは今でも漢方では止血や下痢などに使う薬ですが、そればかり食べていたからこんなことになってしまったんです。
ところで古墳ファンのひとは、岡本全勝さんのHP1月9日の「タンパク質考古学」という記事を読んでみてください。マニア垂涎の思い出が書いてありますよ。羨まちいなー。