あまりにも時速の遅いモグタクシー。歩行者にもどんどん追い抜かれていく。本当はみんなで引っ張ってやらないといけないのであろう。
月曜日です。仕事あって疲れた。
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南宋・淳熙十六年(1189)の冬のことでございます。
わたしは用務のため、船に乗って、
晩発丹陽館下、五更至丹陽県。
晩に丹陽館の下を発し、五更に丹陽県に至りぬ。
夕刻、首府・建業にある丹陽館の下の船着き場を出、大運河を北上して、明け方近く、丹陽県に到着した。
まだ旅程は長いのであるが、今日はここで一泊する。
大運河を、船は帆をあげたり櫓を漕いで進むわけではなく、多くの人夫が岸から牽いていくのである。
だから、今夜は、
舟人及牽夫終夕有声、蓋謳吟嘯謔以相其労者。
舟人と牽夫と終夕声有り、けだし謳吟し嘯謔を以てその労者を相(たす)く。
船員と牽引人夫とは、一晩中声を出し合っていた。要するにそれは、歌をうたい、からかい合って、その仕事が楽になるようにしていたのである。
しもじもたちのコトバであるから、なかなかわかりにくいのであるが、
其辞亦略可弁。
その辞、またほぼ弁ずべし。
歌詞はなんとかだいたい理解できた。
そのうたにいう、
張歌歌、李歌歌、 張歌歌(かか)、李歌歌(かか)、
大家着力斉一拖。 大家着力、斉(ひと)しく一拖(た)せよ。
「歌歌」は「哥哥」(かか)と同じで、「にいさん」の意。「拖」は「曳く」。
張のにいさん、李のにいさん、みんな力合わせてもうひと引きだーア。
またいう、
一休休、二休休、 一休休、二休休、
月子彎彎照幾州。 月子彎彎(わんわん)として幾州を照らさん。
ひとやすみ、ふたやすみ、お月さままんまる、いくつの国照らすーウ。
其声凄婉、一唱衆和。
その声凄婉、ひとり唱いて衆和せり。
その歌声は心に沁み入り、一人がまず歌って、みんながそれを復唱するのであった。
わたしも感じ入って、作ったうた。
月子彎彎照幾州、 月子彎彎として幾州を照らす、
幾家歓楽幾家愁。 幾家か歓楽し幾家か愁えん。
愁殺人来関月事、 人を愁殺すも来たりて月の事に関せんや、
得休休処且休休。 休休を得る処、しばらく休休せよ。
お月さままんまる、いくつの国照らす、
いくつの家楽しみ、いくつの家悲しむ、
ひとが悲しくても、お月さんは知らぬ、
休めるときには、ひと休みしよ。
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宋・誠斎・楊万里「竹枝歌有序」(竹枝歌、序有り)より。ほんとは七首あるんですが一首だけ訳しました。めんどくさいから。
おいらも「休めるときにはひと休みしよ」と行きたいところなのだが、そういうのイヤなひともいるみたいなんです・・・。