たちまちのうちに、ニワトリ型円盤に迫られるぶた型円盤。能力の差は明らかでにょろん。
まだ火曜日。週末となって温かな心を思い出す日は遠いでにょろん。今日はまろ、うつけの少将が担当するでにょろり。
・・・・・・・・・・・・・・・
天慶年間(938〜947)のことですが、民部卿・藤原忠文という方がおられたのでにょろん。
このひと、馬や鷹など、ドウブツについてたいへん詳しかったのだそうですが、あるとき、式部卿の重明親王さまが宇治にあった忠文の館にやってきて、鷹狩のための鷹を一羽譲って欲しい、とおっしゃった。
「親王さまのたっての仰せであれば、否みはいたしませぬが・・・。それではこの鷹をさし上げましょう。どうぞ気長に仕込んでやっていただきたい」
忠文以鷹与親王。
忠文、鷹を以て親王に与う。
忠文は、一羽の鷹を取り出して、親王にお譲り申し上げた。
親王臂之還、於路遇鳥。
親王これを臂して還るに、路に鳥に遇う。
親王がこの鷹を腕に止まらせて京都市内に戻って行く途中、道ばたで獲物になりそうな鳥を見つけた。
「よし、あの鳥を捕ってまいれ」
と腕に止まらせた鷹を放とうとした・・・のだが、鷹はぼんやりとして、相手の鳥が逃げ出してからようやく羽ばたき、すぐに諦めて親王の腕に戻ってきた。
此鷹頗以凡也。
この鷹、すこぶる凡なるを以てならん。
「どうやら、この鷹はたいへん無能なやつのようだぞ」
親王は
自路帰、返与鷹忠文。
路より帰り、鷹を忠文に返し与う。
途中からまた宇治に引き返して、鷹を忠文に突っ返した。
「もう少し使える鷹はいないものか」
忠文は困った顔をしていたが、やがて
更取出他鷹、云、此鷹五十丈之内得鳥必撃之。此鷹欲令献上、恐不為其用。
更に他鷹を取り出だして云う、「この鷹は五十丈の内、鳥を得れば必ずこれを撃つ。この鷹を献上せしめんと欲するも、恐らくはその用を為さざらん」と。
また別の鷹を取り出して来て、申し上げた。「この鷹は150メートル以内の鳥がいれば、必ず攻撃して捕らえることができます。この鷹をさし上げようと思います。ただ、親王さまのお役に立つかどうかはわかりませんが・・・」
なかなか顔つきの引き締まった俊敏そうな鷹である。
「この鷹ならいろいろ働いてくれることであろう」
と言って、親王は鷹を受け取った。
そしてまた京都市内に戻る途中で、
於路遇鳥、放之、鷹入雲去。
路に鳥に遇い、これを放つに、鷹は雲に入りて去りぬ。
道ばたに鳥がいるのを見つけて、この鷹を放ったところ、鷹は一目散に飛び上がり、雲に入ってどこかに行ってしまった。
のだそうだ。
これほどの鷹になると主人の能力を知るものである。
頗知主之凡飛去歟。
すこぶる主の凡なるを知りて飛び去るか。
主人の能力が大したことがないのをよく知って、飛んで逃げ去ってしまったのであろう。
人間にも往々にしてあることである。
・・・・・・・・・・・・・・・
本朝・大江匡房述、藤原実兼記「江談抄」巻三より。
大江匡房さまは十一世紀の半ばから十二世紀はじめ、博識を謳われた大学者(かつ詩人・歌人である)のひとです。その広い知識に基づく前代のひとびとのエピソードや詩の解釈の仕方や有職故実関係などのくさぐさを弟子の実兼が書き留めたのが「江談抄」。ゲンダイとなってはどうでもいい知識のほか、こういうゲンダイでもためになるお話もたくさん入っているのでございにょろん。
大江匡房卿(推定図)