三次元リアルねこ。「トラでは無いにゃぞ」
暑いのでやる気ない。別に暑くなくてもやる気ないが。
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明のころ、湖南・辰州に山の民・葉彪なる者がいて、彼と二人の息子と、
父子三人皆有異力、善搏虎。
父子三人、みな異力有りて、善く虎を搏(う)つ。
親子三人、みなすごい力持ちで、トラ退治が得意であった。
このすごい力は、
毎晨必食斗米許、肉十数斤。
毎晨必ず斗米ばかりと肉十数斤を食らう。
毎朝、かならず一斗(当時で10リットル程度!)ほどのメシと、10キロぐらいの肉を食う。
という日々の努力で作られたものなのであった。(一斤=600グラムで計算)
この食事量、原文の記述では一人当たりか三人でか、ははっきりわかりませんが、さすがに三人で、だと思います。
この朝飯を食ったあと、彼ら親子は、
頭頂鉄笠、大足容身、各持槍斧、重三十余斤、往来深山窮谷中、雖足跡所不到処、必入焉。
頭に鉄笠の大いさ身を容るるに足るを頂き、おのおの槍斧の重さ三十余斤なるを持して、深山窮谷中を往来して足跡到らざるところの処といえでおも、必ず入る。
頭に鉄の笠をかぶる。これはからだ全体を蔽うほどの大きさのものである。それから、槍や斧、重さ20キログラムもあろうというものを手にして、出かけるのだ。山深く、谷の奥の奥まで、人間のこれまで入ったことの無いようなところであっても必ず入り込んでいく。
そうしてトラを仕留めるのである。
虎見其状、即驚走、三人必追斃之。
虎、その状を見て、即ち驚き走るも、三人必ず追いてこれを斃せり。
トラは彼らの姿を見ると、即座にびっくりして逃げ出すのだが、三人は必ずそれを追い詰めて、絶対にコロすのであった。
という絶対的な力量を持っていたのだが―――
あるとき、三人そろって、
夢猛虎数百、環繞咆哮。覚而起視、無所見。如是者数次。
猛虎数百の環繞して咆哮するを夢む。覚めて起ちて視るに、見るところ無し。かくのごときもの数次なり。
数百頭の猛虎に取り囲まれて、吠えたてられる夢を見た。目を醒まして周囲をみたが、トラたちはいない。こんなことが何度かあった。
三人乃自省、曰、虎雖不仁、吾必欲尽殺之、毋乃忍乎。
三人すなわち自省して曰く、「虎不仁なるといえども、吾必ずこれをことごとく殺さんと欲するは、すなわち忍ぶなからんか」と。
三人はそこで反省して、「トラはひどいドウブツであるが、わしらがやつらを根絶やしにしようとするのは、やはりやりすぎでなかろうか」と言い合った。
遂相誓不復搏虎。
遂に相誓いてまた虎を搏たず。
とうとう互いに誓い合って、二度とトラを殺さないことにしたのである。
トラ退治に従事する者は多くトラに食われて命を落とすものであるが、彼らはこうしてトラ退治を止め、おかげでトラのために命を落とすこともなかった。
ああ。人生において、物事がうまく行っているときに止める、というのは至難のことである。
彪父子可謂善息矣。
彪父子、善く息(や)むというべきなり。
葉彪親子こそ、よくぞやめることができた者、というべきであろう。
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明・劉忭等「続耳譚」巻一より。やる気ないので辞める、という肝冷一族とは違う止め方のようですが、やっぱり適当に罷めないといかんようですよ。
このお話、なーんとなく、憲法九条擁護的な比喩にもなっていて、喜んでいただけるのではないでしょうか。喜んでいただいたところで、わたくしどももしばらく更新を中止いたします。更新のできる一族がもうほとんどいないんです。