怠惰な生活を反省しえ漁撈生産活動に参加するぶたとアンコウ。しかしモグはびくに入ったまま働こうともしないのだ。ふざけているのか。
わーい、いよいよツラいしごとの明日が来る。コドモになって精神的重圧から逃げるしかない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、晋の時代のことなんですが、蒼梧太守の張鎮は、その息子に向かって
我不如爾。
我、爾に如かず。
「おまえにはかなわんと思っとるよ」
と言ったそうなんです。
息子は何のことかわからなかったので、
「なんのことでしょうか」
と問うた。
爾有佳児。
爾に佳児有り。
「だって、おまえにはいい息子がいるではないか」
「はあ?」
自分の息子はよくないからな、と暗に息子をヘイトしているのだ。
それを聞いておりました息子の息子の凭、一歩前に出まして、
時年数歳、斂手曰、阿翁、詎宜以子戯父。
時に年数歳、手を斂(おさ)めて曰く、「阿翁、なんぞ子を以て父に戯るるべき」と。
そのころまだ年は五六歳でしたが、手を組んで恭しく一礼して、言う、
「おじじ、いつからコドモのことでその親父にふざけることが許されるようになったのでちゅかな」
と。
「うっひゃっひゃ」
張鎮は手を打ってよろこび、
「本当にいい息子を持ったもんじゃな」
と息子をほめそやしたとのことである。
これより十数年の後、張鎮は孫・張凭の補佐を得て、王含の乱を平定したりするのでございますが、それはまた別にお話させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「世説新語」排調第二十五より。
明日、おいらにツラい仕事をさせるなどとは、会社はふざけているのではないか。だんだん腹立ってきた。よし、明日は連絡せずにズル休みしてしまおう。うっしっし。