平成29年5月25日(木) 目次へ 前回に戻る
自分だけメシを食っているのをじっと見つめられていたりすると、ニンゲン(この場合はネコやネズミだが)の心は山よりも険しい、と思うことがある。
そろそろ夏です。涼しい山の名にでも行って、さわやかな心になりたいなあ。
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絶頂峰攢雪剣、 絶頂の峰は雪の剣を攢(つ)み、
懸崖水挂冰簾。 懸崖の水は冰の簾を挂く。
倚樹哀猿弄雲尖。 樹に倚るの哀猿は雲尖を弄べり。
峰の絶頂は雪を積み上げて剣のように尖っており、
崖にかかる滝の水は、氷のカーテンを掛けたようだ。
木によじ登ったおサルが、悲しげに鳴きながら、雲の先端をいじっている。
雲の上のような高い、冷涼なところなのである。
この山中では、
血華啼杜宇、 血の華に杜宇啼き、
陰洞吼飛廉。 陰洞には飛廉吼ゆ。
むかしむかし神代のころ、蜀に望帝という王さまがいた。王さまは臣下の妻に恋をし、ためにその臣下を遠くに使いに出して、その間にその妻に通じた。臣下が帰還するに及んで王さまは己の行為を大いに恥じ、山中に入って「杜宇」(と・う。ホトトギス)に変化してしまった。ホトトギスは夏になると懐かしい故国を望む森までかえってきて、「不如帰」(帰るにしかず。帰りたいなあ)と鳴き、血を吐くのだ、その血を浴びて花は赤く染まるのであるという(「蜀王本紀」)。ホトトギスは「子規鳥」ともいいますので、喀血した正岡のぼるは俳号を「子規」と洒落込んだわけである。
「飛廉」は殷の紂王の家臣であるが、本来は「山海経」にも登場する鳥型の風神。
ホトトギスが吐いた血で花は赤く染まり、
風神は洞窟の暗闇の中でごうごうと吼えている。
洞窟から吹いてくる風を風神が吹かせているもの、と詩的表現したんですな。
と、いうような高く不気味な山の中なのですが、それでも、
比人心、山未険。 人心に比すれば、山いまだ険しからず。
ニンゲンの心に比べれば、山の険しさなんて、大したことはないのだ。
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ニンゲンいやだなあ。これは元の張可久の「天台瀑布寺、中呂・紅綉鞋」(天台の瀑布寺にて。中呂調の「赤い刺繍のくつ(のオンナ)」の節で)という元曲でちゅ。
「廬山瀑布図」。色つけてみたくなりますね。下の方のあずまやのそばに立っているのはわしだったかなあ。