ぽんぽこのたましいの音楽を聴け。ぽん、ぽん、ぽんぽこぽん・・・
やはりこの時期は寒いなあ、というこの数日。明日は特段に寒いらしい。ぽかぽかした日差しの下で、うとうとしたいものだが。
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19世紀の前半ごろのことだそうですが、春先のいい天気の昼間、龔自珍先生がうとうとして、
夢衆神人立於朝、授一巻書。
衆神人の朝に立ちて、一巻の書を授くるを夢む。
たくさんの神仙たちが朝廷らしいところに立っていて、自分を呼び寄せ、彼らから一巻の書を授けられる夢を見ていた。
うたたねにもシゴト場のことを夢見てしまうとは、かなり追い込まれていたのかも知れません。
読未終、一神人告予、此天琴也。趨作頌、頌之有福。
読みていまだ終わらざるに、一神人の予に告ぐるに、「これ天琴なり。すみやかに頌を作れ、これを頌すれば福有らん」と。
別に性別の指定はありませんが、声をかけてくれた「神人」は仙女さまであったことにします。
書を開いて読み始めようとしたとき、ひとりの仙女さまがお近づきになられて、わたしにおっしゃるには、
「これは書物の形をしていますが、文字が書かれているわけではなく、開けばあなたの心に直接に、美しい波動が伝わってくるでしょう。これこそ「天の大琴」です。さあ、この大琴のほめ歌を作りなさい。これをほめればあなたにシアワセが訪れますよ」
と。
授筆而奏之。
筆を授けてこれを奏す。
そうしてわたしに筆を下さった。それからわたしはその書を開いて、天の音楽を聴いた。
そこでわたしは歌を作った。それは次の四十四文字である。
於皇穆清、 於(ああ)皇(おお)いに穆にして清く、
我宅大宇。 我が宅や大宇なり。
重華在堂、 重華は堂に在り、
周公在下、 周公は下に在りて、
蕩蕩有日月而無風雨。 蕩蕩として日月有り、しかして風雨無からん。
ああ、広大で清らかにして、
われらの家(=この世界)は巨大な建物である。
(その中で)聖人・舜帝は正堂の上に静かにお座りになり、
賢者・周公が正堂の下で恭しく政務を報告しておられ(、世界は調和してい)るのだ。
力強く太陽と月はめぐり、世の中を乱す風や雨は気配も無い。
さあ、そこで、「びよん、びよん」と
余鼓斯舞斯、 余は鼓し、舞い、
黄斯玄斯、 黄にして玄、
哲斯文斯、 哲にして文、
萬霊其徹聞斯。 萬霊それこれを徹聞せよ。
わたしはこの天の楽器を鳴らし、踊る。
黄色い大地と青黒い大空、
すべての真理とあらゆる文明、
天地にあまねく精霊たちよ、さてもこの音楽に耳を澄ませよ。
以上、おちまい。果たしてシアワセは訪れるでしょうか。
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清・定盦・龔自珍「天琴頌」(「定盦文集」所収)。一年中こんなこと言っていたら絶対おかしいひとのような気がしますが、誰だって春先はこんな感じになりますよね。