平成28年12月5日(月)  目次へ  前回に戻る

5時45分、定時にはすごい勢いで帰るリアル社畜たち。おいらもだいたい定時には引き上げてまいりました。しかしそれでもツラいなあ。

平日です。おいらは捕らえられて職場へ送られ、ツラく苦しい一日を過ごしました。さて、これからどうしようかな・・・。

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孔子の三十八代目の孔戣(こう・き)、字は君厳というひとは、唐の中頃、尚書省の左丞(第一次官)になったが、三回辞表を書いて辞めることにした。

帝はその賢なるを惜しみ、二回は引き留めたが、三回目には礼部尚書(長官)に形式的に任命して、その俸禄を終身与えることにした(要するに養老年金)。しかし、孔戣はそれを断って帰郷することにしたのである。

そこでおいらはこの孔戣さまに訊いてみた。

公尚壮、上三留、奚去之果。

公なお壮、上三たび留めらる、なんぞ去ることの果なる。

「あなたはまだまだお元気であられる。帝は三回もあなたをお引き留めになられた。それでも辞職して去る、とおっしゃる。なんと果断なことでありましょうか(。果断に過ぎませんか)」

すると、孔先生はおっしゃった。

吾敢要君。

吾あえて君を要せんや。

「なんで、おまえさんごときに口をはさまれる必要があるのかね」

「む。いやいや、それは・・・」

「まあよろしい。わしが辞める理由は二つある」

先生曰く、

吾年至。一宜去。吾為左丞不能進退郎官、唯相之為。二宜去。

吾、年至れり。一の去るべきなり。吾、左丞たりて郎官を進退するあたわず、ただ相の為すなり。二の去るべきなり。

「わしはもういい歳になったからな。それが辞める理由の一。わしは左丞にしてもらったが、課長クラスの任命も自分の一存ではできず、大臣の指示を受けねばならない。それが辞める理由の二、なのじゃ」

「そうはいいますが・・・」

とおいらは言いました。

古之老於郷者、将自佚、非自苦。

いにしえの郷に老いんとする者は、自ら佚せんとするなり、自ら苦しまんとするにあらず。

「むかしの、官を辞めて郷里に帰って老後を送ろうとしたひとは、楽ちんをしようとして帰郷したのです。苦労しに行ったのではないのです。

むかしは、

閭井田宅具在、親戚之不仕、与倦而帰者、不在東阡、在北陌、可杖屨来往也。

閭・井・田・宅(りょ・せい・でん・たく)つぶさに在りて、親戚の仕えざると倦みて帰れる者と、東阡(とうせん)に在らざれば北陌(ほくはく)に在りて、杖屨(じょうく)して来往すべきなり。

門構えや井戸や田畑や家屋敷などちゃんとあって、仕官しなかった親族が地元にたくさんいたものです。この親族と、疲れて都から帰ってきた者とは、東のあぜ道のところにいなければ北のあぜ道のあたりにいて、毎日、杖にすがり草履を引っ掛けて行き来することができたものでした。

しかし、

今異於是。公誰与居。且公雖貴、而無留資。何恃而帰。

今はこれに異なれり。公、誰とともに居らんとす。かつ、公は貴といえども、留資無し。何を恃みてか帰らん。

ゲンダイはそうではありません。あなたは郷里に帰って、誰といっしょに過ごそうというのですか。それに、(言いにくいことでございますが)あなたはそこそこ尊貴な方でいらっしゃるが、貯金がありませんやろ。なにを頼りにして帰郷後の生活を営もうとするのですか」

けれど、孔先生はおっしゃった。

吾負二宜去。尚奚顧子言。

吾、二の去るべきを負えり。なおなんぞ子の言を顧みんや。

「わしは、前述のとおり、二つも辞職する理由があるのである。それなのに、なんでこの上、おまえさんの言うことを検討する必要があるだろうか」

「はあ・・・」

そうして、孔戣さまは郷里へ帰られ、その翌年に亡くなったのであった。

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唐・韓愈「唐正議大夫尚書左丞孔公墓誌銘」唐の正議大夫・尚書左丞の孔公の墓誌銘)より(「唐宋八大家文」巻六所収)。

なんと、たった二つしか理由が無くてもお辞めになったんです。おいらにはいくつあるんだろうか?

 

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