暴れる。「ハラ減ったぞう!」下↓へ。
今日はもう会社に行かずに、連絡もせずに休みました。会社には一族のところの電話番号を「緊急連絡先」として登録してありますから、そちらに「はやく出てこい」という電話が行ったと思いますが、おいらは自由に。
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うっしっし。メシを食うために会社に行くのはもうまっぴらだぜ。自由とは空腹に耐えることかも知れません。
趙州従諗(ちょうしゅう・じゅうしん)禅師さまが曰く、
烟火徒労望四隣、 烟火徒に労して四隣を望み、
饅頭追※子前年別。 饅頭(まんとう)追子(たいす)前年に別る。
※「追」と表記している文字は「𩙿」(しょくへん)に「追」と書く字で「たい」「つい」。「蒸した饅頭」のこと。
(自分の)炊事の火を炊こうとしても徒労に終わるばかりで、近隣の煙を見ているだけ。
饅頭や蒸し饅頭は一年前に食っていらい、とんとご無沙汰である。
それぐらい食糧事情が悪い。
今日思量空嚥津、 今日思量して空しく津(しん)を嚥(の)み、
持念少、嗟嘆頻。 持念少しく、嗟嘆(さたん)頻りなり。
今日は(腹が減って、饅頭や蒸し饅頭のことを)考えたが、結局はむなしく唾を飲んでいるばかりだった。
仏を求める心は減ってしまい、ためいきついたり嘆いたりすることがすごく多いんです。
腹減った。こんなときに、
一百家中無善人、 一百家中に善人無く、
来者祇道覓茶喫、 来者はただ「茶を覓(もとめ)喫さん」と道(い)いて、
不得茶噇去又嗔。 茶を得て噇(くら)わざれば、去りてまた嗔(いか)るなり。
百軒の家の中に立派なやつはひとりもいないらしい。
みんなやってきては、ただ「おい、茶を飲ませてくれ」と言うやつばかり。
お茶を飲めないとわかると、もう行ってしまってぷんすかと怒っているのである。
こんなひとよくいますよね。そうか昔からいたんだなあ。
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「趙州和尚十二時歌」より(「正法眼蔵」第四十所収)。
実は、この饅頭や蒸し饅頭や「お茶」は、悟りのことなんだそうです。
悟りなんかメッタにありつけるものではなく、わしもなかなか困っている。なのに、やってくる修行者たちは性急に悟りを求めて、すぐに得られないと「どうして悟らせないのだ」と不満に思って次のお寺に行ってしまう。焦っても得られるものではないのになあ―――という詩なんだそうです。
趙州従諗は唐の末のひと、南泉普願のもとに転がり込んで六十歳でその門下となり、それから諸方に遊行して三十年かかって悟りを開き、その後三十年趙州観音院に住持した。ということですから、120歳。伝記資料に当たると大暦十三年(778)の生まれで乾寧四年(897)没という立派なひとである。その言行を記した「趙州録」は絶対無という禅思想の本質を明かしたものとして名高い・・・そうですが、読んでもなかなかわかりませんよ。イヌっこには仏性はある? ダルマさんがチャイナに来たのは何故? ありがたい仏像を見たことがあるか? などと訊かれたらみなさんどうする?
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