「おっとまた説教か」「冬眠前の食糧集めに協力しろ、ではないでチュウか」「ぶう」
なんとか今日も生きて、キビシイ社会から帰ってきました。
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社会は厳しいので、シアワセに生きるにはおとなしくしているしかないはずなんです。でももしかしたら、「有名になったり出世したりするとシアワセになれるカモ」と思うひとがいるといけないので、ちょっと注意しておきますよ。
吾儕一為人所知所誉、便是不好消息。
吾が儕(せい)、一に人の知るところ誉むるところと為るは、すなわちこれ好消息ならず。
おいらたちの仲間にとっては、ひとさまに名を知られ、誉められるようなことになるのは、いい状況ではないのでありまちゅよ。
ちなみにおいらたちは「忍者」ではありません。「学ぶ者」としての「学者」でちゅのじゃ。
中でも、
其驟有進用於時、殊非可喜可願之事。
その驟(にわ)かに時に進め用いらること有らば、ことに喜ぶべく願うべきの事にはあらざるなり。
突然に時代のニーズに合致して、出世するようなことになるのは、特段にうれしくない、願わしくないことなんでありまちゅ。
うれしくなく願わしくないのに頑張ってしまって、
若至居要地、為衆所趨、則是決無善後之図矣。
もし要地に居りて衆の趨(はし)るところと為るに至れば、これ決して善後の図(と)無からん。
もしも枢要な地位に昇り、多くの取り巻きどもが集まって来るようになったら、これはもうどうあがいても、後々よろしく生きて行くという希望は無くなったと思わねばなりません。
これはもう絶望です。涙が出てまいります。
ぐしゅん。
さて、このようなことを言いましても、
公在今日、未必知鄙言之切。異時身履其地、当思此言。
公、今日に在りてはいまだ必ずしも鄙言の切なるを知らざらん。異時、身(み)ずからその地を履まば、まさにこの言を思うべし。
あなたは、今のところはまだ、おいらのコトバが切実であることを理解なさりますまい。けれど、いつの日か、御自分がそのような地位に至りついてしまったときには、おいらのこのコトバを思い出して、後悔なさることでございましょう。
だから、出世してはいけませんよ。
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と、李朝の大儒・李退渓先生のお言葉である(「自省録」所収「与奇明彦書別紙」(奇明彦に与うる書の別紙)より)。
気をつけねばなりませんぞ。