とはいえ夏はもう戻って来ない。
今日はいいモノを手に入れたぜ。ひっひっひ。早速使ってみる。
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一叟鬻氷於街。
一叟、氷を街に鬻(ひさ)ぐ。
じじいが一人、街で氷売りをしていた。
貧しい身なりで、竹の笠をかぶり、藁の草履を履いている。夏の盛りで、土埃と汗で額がぬめぬめしている。
そこへ、
有揚揚跨馬佩陸離長剣者、笑曰、汝何為暴於赤日。汝冰将融、甚矣汝愚。
揚揚として馬に跨り、陸離(りくり)たる長剣を佩びたる者有りて、笑いて曰く、「汝、何すればぞ赤日に暴(さら)さる。汝の冰まさに融けんとす、甚だしきかな、汝の愚かなること」と。
意気揚々と馬にまたがったやつが来た。きらきらとした大きな剣を腰に帯びている。(武官として高い位にある者なのであろう。)
そいつが笑って言うには、
「じいさん、あんたはどうしてこのギラギラした太陽に照らされているんだね。あんたの売り物の氷はもう融けてしまいそうになっているし、ほんとうにオロカだなあ、あんたは」
「ほえほえ、うひょひょ」
じいさんはにこやかに答えて曰く、
「いやいや、わしは大丈夫じゃが・・・
口飫甘旨、目眩豔色、身安車馬、耳耽笙笛、浚膏血、列瓊璧。
口は甘旨に飫(あ)き、目は豔色(えんしょく)に眩み、身は車馬に安んじ、耳は笙笛に耽り、膏血を浚(さら)え、瓊璧を列す。
口は甘い食べ物を飽きるほど食らい、目はなまめかしい色に眩んでしまい、体は自ら歩くことなく、車や馬に乗って楽ちんし、耳は縦笛・横笛を聴き耽り、(人民の)あぶらや血まで浚えるようにしぼりあげ、そのくせ自分は円い玉、平ぺったい玉をじゃらじゃらと身に並べつけている。
そんな暮らしをしていながら、
徳澤不施、仇怨日積。
徳澤施さず、仇怨日に積む。
恩義をほどこすこともなく、敵の怨みばかりが日夜に積み上がっていく―――。
果如是乎、楼閣之巍巍、忽化叢棘、纓綬之若若、変為糾纆。
果たしてかくのごときか、楼閣の巍巍たるも忽ち叢棘と化し、纓綬の若若(じゃくじゃく)たるも変じて糾纆と為らん。
もしもそうなら、(日夜に宴会する)高いたかどのも、たちまちトゲトゲの草の多い草むらになってしまうであろう(。気がついたときには落ちぶれてしまうのだ)。そして、(冠を止めたり肩にかける)柔らかなあごひもや飾り紐も、あっという間に絞首のための縄に変じてしまうであろう(。突然に罪に問われたりもするのだ)。
にやにや。
是之謂冰山。何独疑於吾冰。
これをこれ、冰山と謂う。何ぞひとり吾が冰を疑わんや。
こういうのを「氷の山」というのだ(。おまえさんたちの足元こそ、あっという間に融けてしまうのじゃ)。わしの売り物の氷のことなど、御心配には及ばぬよ。
うっひゃっひゃっひゃっひゃ」
「むむむ・・・」
跨馬者忸怩、加鞭遽去。
馬に跨る者忸怩として、鞭を加えて遽かに去れり。
馬にまたがっているやつは、恥ずかしそうに、馬にむちをくれて、逃げ去って行った。
のこされたじじいは、歌いて曰く、
晶晶如雪、 晶晶たること雪の如く、
瑩瑩如瓊。 瑩瑩(えいえい)たること瓊の如し。
冰兮冰兮、 冰よ、冰よ、
何潔而清。 何ぞ潔(いさぎよ)くして清らかなる。
きらきらするのは雪のよう、ぴかぴかするのは玉のよう。
氷よ、氷よ、おまえはどうしてこんなに精神的にも物質的にも清々しいのだ?
一嚼可以潤脣舌、 一たび嚼(か)めば、以て脣舌を潤すべく、
一嚥可以消中熱。 一たち嚥(の)めば、以て中熱を消すべし。
ひとかけらを口に含めば、くちびるも舌もしめやかになり、
ひとかけらを呑み込めば、体内の熱も覚ましてしまう。
ひとが言論や思想の熱に浮かされるときにこそ、わしの氷を求めるがよい。
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亀谷省軒「売冰者言」(冰を売る者のコトバ)(「明治漢詩文集」所収)。
筑摩書房の明治文学全集62「明治漢詩文集」をついに入手。神保町の店先で300円(消費税込み)でした。うはは。何年も追いかけてきた甲斐があったぜ。さらに今日は何十年も追いかけてきたある書物が新刊になりましたので、これを注文してあったのをもらってきました。こちらは明日の更新に使おうかな。わははは。肝冷斎も草場の蔭の彼岸から、ものほしそうに見ていることでしょう。
なお、亀谷省軒は名は行、字は子省、対馬のひと、天保九年(1839)の生まれで、二十代で致仕して京阪に遊び、広瀬旭荘に師事。長州征伐に際して勤皇派として活動したため入獄。明治元年に岩倉具視を補佐し、大学教官に任ぜらるも明治六年官を辞し、以降上野不忍池畔に塾を開くとともに詩文に勤しんだという。大正二年(1913)卒。
さて、よく考えると、秋のシルバーウィークも今日で終了。明日からまた平日が五日も続く絶望的状態に突入します。はやく来年の夏になって、夏休みにならないかなー。
現世では、しあわせはいつも融けて形を無くしていくんだなあ。