平成28年8月22日(月)  目次へ  前回に戻る

西方に友あり晩夏のガラス玉 野呂田稔

台風も行ってしまいました。台風一過して、まだ外はジメジメしていますが、今は秋の虫の音も聞こえる。

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今日は訃報があったりしたので、挽歌というものを読んでみようと思います。

拊心消息過江淮。 心を拊(う)つの消息、江淮を過ぐ。

 胸をどきんと打つような報せが、長江・淮水を越えてやってきた。

紅涙淋浪避客揩。 紅涙淋浪として客を避けて揩(ぬぐ)う。

 血の混じった涙があふれ落ちるので、(報せを届けてくれた)お客人の前を外して、隠れて涙を拭いたものさ。

思うに、

千古知言漢武帝、 千古の知言 漢武帝、

人難再得始得佳。 人は再び得難くして始めて佳なるを得。

紀元前2世紀のことになりますが、漢の武帝に仕えた歌手・李延年は、自らの妹を武帝の寵姫に薦めようと思い、次のように歌った。

北方に美しいひとがある。

この世のものではないほどのその姿。

ひとたび顧みすれば(町中のオトコが心を奪われて)彼らの都市を傾けてしまうだろう。

ふたたび顧みすれば(王さまも心を奪われて)彼の国家を傾けてしまうだろう。

寧不知傾城傾国、 なんぞ城を傾け国を傾くるを知らざらん、

佳人難再得。   佳人は再び得ること難し。

 都市が傾いたり国家が傾いたりするのはままあることではござろうが、

 かくもみめよきひとを、またと得ることのできようか。

と。(「史記」外戚伝

「傾城・傾国」の出典でございますが、この詩の作者はこの李延年の歌を漢武帝自身のコトバとみなしたうえで、そこをもうひとひねりした。

 漢の武帝よ、あなたのコトバは数千年後のわたしの思いをぴたりと言い当てている―――

また会うことができなくなって、はじめてその人の美しさを理解できるのだ。

そうですか。

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清・盦・龔自珍「己亥雑詩」其百八十三

杭州有所追悼而作。

杭州にて追悼するところ有りて作る。

杭州で、追悼すべきひとが亡くなったので、作った。

と自注があります。揚州あたりの馴染みの妓女の訃報を得て作ったのであろう、と推測されている。

 

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