貝のように閉ざす。心を。
本日の世間様は英国のEU離脱国民投票で大騒ぎになっていました。個人的には終末、いやまだ週末、になったのでうれしい。
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終末、ではなく週末には海を見に行こうか。
砂浜には、波の置き忘れた貝殻が落ちているかも知れない。
海把貝殻失落在沙灘。 海は貝殻を把らんとして、失落して沙灘に在り。
我把愛情失落在人間。 我は愛情を把らんとして、失落して人間に在り。
海は貝殻を持ち去ろうとして、それを砂浜に落として行った。
わたしは愛を持ち去ろうとして、それを人のところに落としてきてしまった。
凡属我的、我必追尋。 およそ我に属する的(もの)は、我必ず追尋せん。
わたしのものならば、わたしは追いかけて、必ずつかみなおそう。
「属我的」(わたしに属するもの)は、上記の「貝殻」と「愛情」のうち「愛情」の方をいうのであろう。
だがそうもいきません。
而且我知道、此刻、正是此刻、 而してまさに我は知りて道う、この刻、まさにこれこの刻、
他蔵在某一个幽閉的心坎・・・ 他(かれ)は某一个の幽閉の心坎に蔵(かく)れて在り・・・。
けれど、わたしは知っている、そのとき、ちょうどそのとき、
それはあの閉ざされた心の中の穴蔵に、隠れてしまっているのだということを・・・。
貝がその殻の中に閉じこもっているように、それ(愛情)を拾い上げたとしても、それはもうわたしのものにはならない・・・。
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人生は「あきらめ」の構成物でしかないのだ。英国離脱(「ブリグジット」というそうです)で経済は混乱すると言われますが、「あきらめ」の精神で海でも眺めていよう。
なお、この詩は公劉の「海把貝殻失落在沙灘」(海は貝殻を持ち去ろうとして砂浜に落として行った)。1956年、北京での作品ということですから、「大躍進」のころかな。
ちなみにおいらの今日の晩飯は超絶高級フレンチ。うまかった。ありがとうございます。